ジョン・サンフォードとの決闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 22:12 UTC 版)
「ウィリアム・ゴーベル」の記事における「ジョン・サンフォードとの決闘」の解説
1895年、ジョン・ローレンス・サンフォードとの決闘だと多くの傍観者が見なしたものに関わることになった。サンフォードは元南軍の一般幕僚であり、戦後は銀行家になり、以前にゴーベルと衝突したことがあった。ケンタッキー州の有料道路の幾つかからゴーベルが通行料を廃止するように動いて成功したために、サンフォードはかなりの収入を失うことになった。サンフォードは後に当時州内の最終審である控訴裁判所判事にゴーベルが指名されるのを阻止したと広く信じられた。これに反応したゴーベルは地方新聞にサンフォードを「ゴノリア(淋病)・ジョン」と呼ぶ記事を掲載した。 ゴーベルと他に2人の知人がコビントンで小切手を現金化しに行ったときに、決闘が起こった。ゴーベルはサンフォードの銀行を避けるように提案したが、サンフォードは銀行の外に立っており、この3人が通りを横切って別の銀行に行ける前に、会話が始まった。サンフォードはゴーベルの友人を迎えるときに左手を差し出し、右手はポケットの中で拳銃を握っていた。ゴーベルがこれに気付き、自分のポケットでも拳銃を掴んで同じように武装した。サンフォードはゴーベルに「あの記事を書いたのが誰かを貴方は知っていると理解している」と尋ね、ゴーベルが「私もそうだ」と答えた。目撃者の証言では双方が発砲したことについては合意しているが、どちらが先に発砲したかは分からなかった。ゴーベルは負傷しなかった。銃弾は上着を通過し、ズボンを裂いた。サンフォードは頭を撃たれ、5時間後に死んだ。ゴーベルは正当防衛を主張して無罪と認められたが、この事件はその政治家としての経歴につきまとうようになった。ケンタッキー州憲法では決闘が禁じられていたので、この無罪放免は重大なことでもあった。ゴーベルが有罪とされた場合、公職に就くことができなくなる筈だった。
※この「ジョン・サンフォードとの決闘」の解説は、「ウィリアム・ゴーベル」の解説の一部です。
「ジョン・サンフォードとの決闘」を含む「ウィリアム・ゴーベル」の記事については、「ウィリアム・ゴーベル」の概要を参照ください。
- ジョン・サンフォードとの決闘のページへのリンク