ジョン・アダムズ (原子力潜水艦)とは? わかりやすく解説

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ジョン・アダムズ (原子力潜水艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/17 02:07 UTC 版)

艦歴
発注: 1960年7月23日
起工: 1961年5月19日
進水: 1963年1月12日
就役: 1964年5月12日
退役: 1989年3月24日
その後: 原子力艦再利用プログラム
除籍: 1989年3月24日
性能諸元
排水量: 6,700トン
全長: 129.6 m (425 ft)
全幅: 10 m (33 ft)
吃水: 9.6 m (31.5 ft)
機関: 原子力ギアード・タービン
主機関: S5W原子炉
最大速度:
兵員:
兵装: 潜水艦発射弾道ミサイル16基
21インチ魚雷発射管4門

ジョン・アダムズ(USS John Adams, SSBN-620)は、アメリカ海軍原子力潜水艦ラファイエット級原子力潜水艦の4番艦。艦名は第2代大統領ジョン・アダムズに因む。艦名はジョン・アダムズの息子である第6代大統領ジョン・クインシー・アダムズにも因む。ジョン・クインシー・アダムズの艦名はブルー班が乗り組んだときに使用された。

艦歴

ジョン・アダムズの建造は1960年7月23日にメイン州キタリーポーツマス海軍造船所に発注され、1961年5月19日に起工する。1963年1月12日にジェームズ・C・マニー夫人によって命名、進水し、1964年5月12日にブルー班艦長ランド・W・ザック・ジュニア中佐およびゴールド班艦長ポール・J・アーリー中佐の指揮下就役する。

ジョン・アダムズは17隻目の弾道ミサイル原子力潜水艦であり、その退役時には75回の哨戒を完了し、2番目に古い弾道ミサイル原子力潜水艦であった。

1963年1月12日の進水時、ジョン・アダムズは氷の張ったピスカタクォ川に滑り込んだ。1964年5月12日の就役後、16回の戦略抑止哨戒を完了し、1968年8月にオーバーホールおよび近代化のために、ワシントン州ブレマートンピュージェット・サウンド海軍造船所に入る。作業は1969年8月10日に完了し、ジョン・アダムズは太平洋艦隊の1ユニットとして任務に復帰した。ゴールド班乗組員による示威整調活動では2発のポラリスミサイルを発射し、その後パナマ運河を通過してブルー班の待つハワイへ向かった。

32回目の哨戒を完了すると、ジョン・アダムズはメイン州キタリーのポーツマス海軍造船所で2度目のオーバーホールおよびポセイドンミサイル運用改修が行われた。オーバーホールが完了すると大西洋艦隊の1ユニットとして任務に復帰する。

更にサウスカロライナ州チャールストンスコットランドホーリー・ロッホからの43回の哨戒完了後、ジョン・アダムズはパナマ運河を通過して、不活性化のためにピュージェット・サウンド海軍造船所に入る。

ジョン・アダムズは1989年3月24日に退役し、同日除籍された。その後ワシントン州ブレマートン原子力艦再利用プログラムに従って解体され、作業は1996年2月12日に完了した。

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