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ジョルジュ・リヴィエール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/13 07:38 UTC 版)

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ジョルジュ・リヴィエール
Georges Rivière
ルノワールによる肖像画(1877年)[1]
誕生 (1855-03-29) 1855年3月29日
フランス帝国 パリ
死没 (1943-02-16) 1943年2月16日(87歳没)
フランス国 パリ
職業 美術批評
言語 フランス語
国籍 フランス
代表作 雑誌『印象派』(1877年)
主な受賞歴 レジオンドヌール勲章シュヴァリエ
ウィキポータル 文学
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ジョルジュ・リヴィエールGeorges Rivière, 1855年3月29日 - 1943年2月16日)は、フランスの作家、美術評論家。雑誌『印象派 (L'Impresionniste)』を刊行し、印象派を世に紹介した。

概要

ピエール=オーギュスト・ルノワールとは、1874年第1回印象派展が開催される前から親しかった[2]。ルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』(1876年)では、右手のテーブルに、ノルベール・グヌットフラン=ラミとともにモデルとして描かれている[3]

1876年の第2回印象派展では、『レスプリ・モデルヌ(現代の精神)』誌に「絵画の非妥協派」と題する批評を掲載した[4]

1877年の第3回印象派展に際して、ルノワールの提案を受けて、雑誌『印象派』を出版した[5]。その中で、リヴィエールは、次のように書いている。作品から主題を排除し、色調の対比と調和を求めた印象派の特質を突いている[6]

主題を主題そのものとしてではなく、色調(トーン)として扱うこと。これが印象派の画家たちとほかの画家とを区別する点である。 — リヴィエール、『印象派』1876年4月6日

1921年、ルノワールの伝記、『ルノワールと友人たち』を執筆した。

脚注

  1. ^ Georges Rivière”. National Gallery of Art. 2019年5月13日閲覧。
  2. ^ Biography of Georges Riviere (1855-1943)”. The Biography. 2019年5月13日閲覧。
  3. ^ ディステル (1996: 56-57)
  4. ^ 島田 (2009: 124)
  5. ^ ディステル (1996: 58)
  6. ^ 島田 (2009: 136)

参考文献




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