ジャガー傘下に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/06 07:03 UTC 版)
第二次世界大戦後、大量生産による大衆車に世の趨勢が傾くにつれ、手作りによる高級車製造をもっぱらの生業とするメーカーには冬の時代が到来する。軍用車という別の収益源を持つものの、デイムラーもその例外ではありえず、1960年にデイムラーの親会社のBSAは340万ポンドでデイムラーをジャガーに売却してしまう。 新たなデイムラーの親会社となったジャガーはデイムラーのブランド名を廃止するという施策は採らず、デイムラーがそれまで製造・販売していた「マジェスティック」や「SP250」などの量販車種をいきなり廃止もしなかったが、デイムラーのラッドフォード工場ではジャガーの各車種の製造も請け負うようになり、1962年にはジャガー・Mk2のラジエターグリルをデイムラー伝統のフルーテッドに改め、デイムラー製V型8気筒2.5Lエンジンを搭載したデイムラー初のバッジエンジニアリングモデル、2½V8サルーンがデビューしている。
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