ジェームス・グリンの来航と米国捕鯨船員の解放(1849年)
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「幕末の砲艦外交」の記事における「ジェームス・グリンの来航と米国捕鯨船員の解放(1849年)」の解説
詳細は「ジェームス・グリン」を参照 東インド艦隊司令官であるデビッド・ガイシンガーは、広東のオランダ領事から、アメリカ捕鯨船の船員18人が、長崎で牢に入れられていることを聞いた。ガイシンガーは彼らの救出のため、部下のジェームス・グリンに長崎に向かうよう命令した。グリンは1849年4月17日に長崎に到着した。グリンに与えられた命令は、注意深くしかしながら断固とした交渉を行うことであった。グリンは捕らえられている船員の解放を要求し、また米国の軍事介入の可能性をほのめかした。オランダ商館の手助けもあり、4月26日には全員が解放され、グリンのもとに送り届けられた。実際には、捕鯨船の乗員はオランダ船で米国に送還される予定であった。しかし、グリンは「強さ」を見せたことが成功につながったと判断した。その後、グリンは米国政府に対し、日本を外交交渉によって開国させること、また必要であれば「強さ」を見せるべきとの建議を提出した。彼のこの提案は、マシュー・ペリーによる日本開国への道筋をつけることとなった。 艦名艦種建造年トン数乗組員機関出力備砲プレブルPreble 帆走スループ 1839 積載量565トン(bmトン) 不明 無 32ポンド砲x16
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