シリル・ゲニック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 15:52 UTC 版)
「ティンキャン大聖堂」の記事における「シリル・ゲニック」の解説
カナダに到着したゲニックは、カナダ政府に雇用されたウクライナ人第1号となり、immigration agent[訳語疑問点]として入植者を農場に案内した。いとこのイワン・ボドラグ(1874年-1952年)もその友人イワン・ネグリッチ(1875年-1946年)もコロメア地方(英語版)ベレズィーブ村出身で、2人とも郷里ガリツィアの小学校教師の資格があった。ゲニックたち3名は地域のウクライナ・コミュニティーの知識層の中核を成し、通称〈ベレズィーブの三人組〉と呼ばれるまでになる。最年長のゲニックだけが既婚者で義父は司祭であり、妻ポーリーン(旧姓ツルコスキー)は学校教育を終え、夫妻には息子と娘が3人ずつあった。
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