シチリアでの活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 14:59 UTC 版)
「ルジェ・ダ・フロー」の記事における「シチリアでの活動」の解説
1282年のシチリアの晩祷以降にはシチリア島の所有権をめぐって、アラゴン人が主体のアラゴン=カタルーニャ連合王国とフランス人が主体のアンジュー=シチリア家のナポリ王国が争っていた(シチリア晩祷戦争)。ルジェ・ダ・フローは当時もっとも経験豊富な軍司令官のひとりであり、シチリア王フェデリーコ2世に召喚されて副提督の地位を与えられた。 1302年にカルタベッロッタの和平が成立してシチリア晩祷戦争が終結すると、フェデリーコ2世は傭兵軍を所有することを嫌がり、シチリア島を軍隊から解放することを切望した。さらに、フェデリーコ2世はアルモガバルスと呼ばれるルジェ・ダ・フローの傭兵軍に給料を支払うすべを失っていた。このような政治的・軍事的状況下で、ルジェ・ダ・フローは東ローマ帝国を荒廃させていたオスマン帝国に対する戦争によって傭兵軍の存在意義を見いだそうとした。
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