シェレンブルク城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/03 05:05 UTC 版)
「ゲミュンデン・アム・マイン」の記事における「シェレンブルク城」の解説
ゲミュンデン中核部の高台の岩山上にシェレンブルク城塞(シェレンブルク城館とも呼ばれる)の城趾がある。この城は、遅くとも1243年、おそらくはそれよりも以前からリーネック伯領に属していたが、1469年にヴュルツブルク領に移行し、司教領主にちなんだ名をつけられた。この城は1598年までアムツケラー(地域の徴税役場)として用いられた。18世紀末以降は用いられなくなり、荒廃した。城の遺構としては、南東の城門、防壁の一部(かつては市壁とつながり一連の環状壁を形成していた)、円形のベルクフリート(ドイツ語版、英語版)(コウモリの巣となっており、立ち入ることはできない)、地下室を持つ宮殿建築の切妻面の壁、小さな空き地(マインタールやザーレタール、シュペッサルト山地を望む展望台となっている)が遺されている。1990年代から夏になると城趾の中庭でシェレンブルク城演劇祭(野外演劇祭)が開催されている。
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