ザナボブ_(競走馬)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ザナボブ_(競走馬)の意味・解説 

ザナボブ (競走馬)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/29 07:09 UTC 版)

ザナボブ
ルイ=ジャン・デルトンフランス語版撮影
現役期間 1852年~1855年
欧字表記 The Nabob
品種 サラブレッド
性別
毛色 青毛
生誕 1849年
死没 1874年
The Nob
Hester
母の父 Camel
生国 イギリス
生産者 ジョナサン・ピール大佐
生産牧場 ハンプトンコート牧場
馬主 第3代リブルズデール男爵
→J・S・ドリンカルド
→ハワード氏
第2代アングルシー侯爵
競走成績
生涯成績 26戦6勝[注 1]
勝ち鞍 チェスターフィールドカップ (1853)
テンプレートを表示

ザナボブ[注 2]英語: The Nabob[注 2]1849年 - 1874年)は、イギリスで生産および調教されたサラブレッド競走馬。競走馬としては1853年のチェスターフィールドカップに優勝したほか、スチュワーズカップイボアハンデキャップロシア皇太子ハンデキャップケンブリッジシャーハンデキャップで2着に入った。引退後種牡馬となってすぐにフランスへ輸出されたが、そこでパリ大賞馬ヴェルムートやボワルセルとスズランの2頭のフランスダービー馬を出す成功を収めた。

生涯

ザナボブは1849年にイギリスのハンプトンコート牧場ジョナサン・ピール英語版大佐[注 3]によって生産された(当時まだ王立牧場は設立されていなかった)[4][5]。 父はザノブwikidata、母はヘスター (Hester) 、母の父キャメル英語版という血統の青毛[注 2]牡馬である[4][6]

ポニーのように小柄だった父ザノブとは対象的にザナボブはサラブレッドとしては最大級の大型馬で、長い脚に美しい馬体とアラブ種に似た頭を持っていた[6]。体高は1メートル62センチになったが、成熟には5歳までかかった[4]

競走馬時代

1851年にピールの所有馬がすべて第3代リブルズデール男爵英語版に売却されたため、1852年に3歳でデビューしたときに騎手は彼の服色を着用していた。この年はニューマーケット競馬場で3勝を挙げた[3]

翌1853年はジョン・ショウ・ドリンカルド[注 4]の持ち馬として走った[4][9]。チェスターフィールドカップ (Chesterfield Cup) ではオーギュスト・リュパンwikidata所有のフランス二冠牝馬ジュヴァンス[注 5]を破って優勝した[4]。またスチュワーズカップ・グレートイボアハンデキャップ(現イボアハンデキャップ)・ロシア皇太子ステークス(現ロシア皇太子ハンデキャップ)・ケンブリッジシャーステークス(現ケンブリッジシャーハンデキャップ)で2着に入った[6]

5歳時はハワード氏[注 6]に転売されたが、1854年に出走したのはアスコットゴールドカップの1戦だけで、ここでは4000メートルを4分27秒で走破した三冠馬ウェストオーストラリアンに敗れた[4][10]

1855年は更に馬主が替わり、第2代アングルシー侯爵の所有馬となった[11][10]。彼のもとでは運に恵まれず、グレートノーサンプトンシャーステークス (Great Northamptonshire Stakes) の競走中に転倒して競走中止になっている[11][10]。この年を最後に競走馬を引退し、種牡馬入りした。

種牡馬時代

ルピー(1857年産)

1856年と1857年はサセックス州で種牡馬として供用された[12][13]。このときの産駒から1860年のアスコットゴールドカップに勝つルピーwikidataが出た。

1857年の年末にアルチュール・ド・シークラーwikidata男爵がザナボブを3万フランで購買し、フランスへ輸入した[3][12][13]。1866年当時はパリ近郊のシュヴィイに繋養され、種付料は500フランだった[3]

代表産駒に、アンリ・デラマール(Henri Delamarre)が所有した1861年生まれのボワルセルwikidataヴェルムートwikidataの2頭や、シークラー男爵にジョッケクルブ賞(仏ダービー)初勝利をもたらした1865年生まれのスズランwikidataがいる[1]

ボワルセル(1861年産)

ボワルセルは1864年のランペルール賞[注 7]とプール・デ・プロデュイ[注 8]に加えてジョッケクルブ賞にも優勝したが、同年のパリ大賞で故障し引退した。種牡馬としては、1869年のロワイヤルオーク賞(仏セントレジャー)に勝ち繁殖牝馬としても成功するクロト (Clotho) や、1868年のグランクリテリウム[注 9]優勝牝馬のマドモアゼルドフリニー (Mlle de Fligny) を出している[14]

ヴェルムート(1861年産)

ヴェルメイユ賞に名を残す名繁殖牝馬ヴェルメイユwikidataとザナボブの間に生まれたヴェルムートは、1864年のパリ大賞で英ダービー馬ブレアーアソールや英仏オークス優勝のフィーユドレール (Fille de l'Air) を破る金星を挙げた[15]。種牡馬入りするとさらに大きな成功を収め、1873年のジョッケクルブ賞とパリ大賞の二冠に加えて1874年のアスコットゴールドカップも制したボイアールwikidata、1874年のグランクリテリウム[注 9]と1875年のロワイヤルオーク賞に勝ち種牡馬としても成功したペルプレクセ (Perplexe)、1876年のオークスステークス(英オークス)に同着優勝するエンギュランドwikidata、1877年のディアヌ賞(仏オークス)勝ち馬ラジョンシェール (La Jonchère) らの父となった[16]

スズラン(1865年産)

スズランはアスコットゴールドカップ勝ち馬ルピーの全弟として生まれた。1868年のランペルール賞[注 7]とジョッケクルブ賞に優勝し、パリ大賞でもジアール[注 10]の2着になった[17]。故障により引退したが、種牡馬としては成功できなかった。

ザナボブは1874年にマンシュ県マルタンヴァ英語版にあったシークラー男爵の牧場で死んだ[18]

プール・デ・プロデュイ (Poules des Produits) と称するジョッケクルブ賞(仏ダービー)の前哨戦を整備していたフランス馬種改良奨励協会 (Société d'Encouragement) は、1878年に第4のプール・デ・プロデュイとしてザナボブの名を冠した「ナボブ賞 (Prix du Nabob)」を創設した[1]。ナボブ賞は1896年にアルフレド・ド・ノアイユwikidata伯爵を記念してノアイユ賞に改名されて現在に至っている[1]

競走成績

以下の成績はレーシングカレンダーによる。

競走日 競馬場 競走名 距離 頭数 着順 騎手 負担重量 1着馬(2着馬) 出典
1852年4月13日 ニューマーケット リドルスワースS英語版 7fur201yds 3 1着 Flatman英語版 8st7lbs (Weathergage) [19]
1852年4月16日 ニューマーケット Sweepstakes 7fur201yds 3 1着 Flatman 8st7lbs (Sackbut) [20]
1852年4月26日 ニューマーケット マッチレース 5fur140yds 2 1着 Flatman 8st7lbs (Hugo) [21]
1852年5月26日 エプソム 英ダービー 1mi+12 27 着外 Pettit 8st7lbs Daniel O'Rourke英語版 [22]
1852年7月6日 ニューマーケット Handicap Sweepstakes 5fur136yds 4 3着 Flatman 8st7lbs Flirt [23]
1852年7月27日 グッドウッド グラトウィックS 1mi+12 7 3着 Rogers 8st10lbs Longbowwikidata [24]
1852年7月29日 グッドウッド ベンティンクメモリアルS 1mi+12 3 2着 Rogers 8st7lbs Harbinger [25]
1852年9月30日 ニューマーケット マッチレース 5fur140yds 2 2着 Rogers 8st7lbs Glenluce [26]
1852年10月15日 ニューマーケット マッチレース 7fur201yds 2 取消[注 11] 8st3lbs Stockwell [28]
1853年4月7日 エプソム レールウェイプレート 34mi 10 着外 A. Day英語版 8st5lbs Narcissus [29]
1853年5月24日 エプソム マナープレート 1mi 9 着外 A. Day 7st13lbs Calot [30]
1853年7月27日 グッドウッド スチュワーズC 34mi 29 2着 Aldcroft英語版 7st13lbs Longbow [31]
1853年7月29日 グッドウッド チェスターフィールドC 1mi+14 12 1着 Aldcroft 7st3lbs (Cat's-paw) [32]
1853年8月18日 ヨーク イボアH 2mi 13 2着 Charlton英語版 7st1lbs Pantomime [33]
1853年9月29日 ニューマーケット トライエニアルS 2mi119yds 3 1着 A. Day 8st7lbs (Adine) [34]
1853年10月11日 ニューマーケット ロシア皇太子S 2mi2fur28yds 31 2着 A. Day 8st Haco [35]
1853年10月25日 ニューマーケット ケンブリッジシャーS 2mi240yds 39 2着 A. Day 8st2lbs Little David [36]
1854年6月15日 アスコット アスコット金杯 2mi+12 7 着外[注 12] Wells英語版 9st West Australian [37]
1855年3月15日 ソールズベリー英語版 トライアルS 1mi 2 1着 H. Goater 9st3lbs (Kingstown) [38]
1855年3月27日 ノーサンプトン英語版 大ノーサンプトンシャーS 2mi 16 中止 A. Day 8st5lbs Hungerford [39]
1855年5月2日 チェスター トレードマンズS英語版 2mi+14 27 着外 A. Day 8st2lbs Scythian [40]
1855年5月4日 チェスター チェシャーS 約1mi3fur 5 3着 A. Day 8st8lbs Typee [41]
1855年5月23日 エプソム エプソムC 1mi+12 4 2着 H. Goater 9st Rataplanwikidata [42]
1855年6月5日 アスコット ロイヤルハントC 1mi 24 着外 W. Day英語版 9st Chalice [43]
1855年10月23日 ニューマーケット ケンブリッジシャーS 2mi240yds 22 着外 H. Goater 8st6lbs Sultan [44]
1855年11月15日 シュルーズベリー コラムハンデS 1mi+14 22 着外 J. Goater 7st10lbs Lord Alfred [45]

血統表

The Nabob血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ヘロド系
[§ 2]

The Nob
父の父
Glaucus英語版
Partisanwikidata Walton
Parasol英語版
Nanine Selim英語版
Bizarre
父の母
Octave
Emilius英語版 Orville
Emily
Whizgig Rubens英語版
Penelope

Hester
Camel Whalebone Waxy
Penelope
Selim Mare Selim
Maiden
母の母
Monimia
Muleywikidata Orville
Eleanor
Precipitate Mare Precipitatewikidata
Woodpecker Mare
母系(F-No.) 12号族(FN:12-c) [§ 3]
5代内の近親交配 Selim: S4×M4, Orville: S4×M4, Penelope: S4×M4, Sir Peter: S5×M5, Pot 8 o's: S5×M5, Prunella: S5×S5×M5, Buzzard: S5×S5×M5, Alexander Mare: S5×S5×M5 [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ[46]netkeiba.com[47]
  2. ^ netkeiba.com[47]
  3. ^ JBISサーチ[46]、netkeiba.com[47]
  4. ^ JBISサーチ[46]

脚注

注釈

  1. ^ フランスギャロノアイユ賞のウェブページによる[1]。サラブレッドヘリテイジのヴェルムートの項目では26戦7勝としている[2]
  2. ^ a b c 種牡馬時代の大部分を過ごしたフランスの資料[3][4][5][6]や現在のインターネット上のデータベースでは、馬名は“The Nabob”、毛色は青毛英語: blackフランス語: noir)となっている。一方で現役時代のレーシングカレンダーでは、馬名が定冠詞のない“Nabob”になっていたり、毛色も brown青鹿毛と訳されることが多い)と記録されているものもある。
  3. ^ 階級は当時(最終階級は陸軍中将)。首相ロバート・ピール準男爵の叔父で、自身も2度陸軍大臣を務めた。馬主としては1844年にオーランド第65回ダービーステークスを制している。
  4. ^ John Shaw Drinkald (1809-1858)[7]。ザナボブ以外にはセントローレンス(St Lawrence、チェスターカップ英語版)、ヴォロヴァン(Vol au Vent、ニューマーケットハンデキャップ)、ザウィドウ(The Widow、ケンブリッジシャーハンデキャップ)を所有したほか、ブラックトミー (Black Tommy) が1857年の英ダービーで2着に入っている[8]
  5. ^ Jouvence。スティング (Sting) の牝駒、1850年産。1853年のジョッケクルブ賞(仏ダービー)とディアヌ賞(仏オークス)の二冠に加えて同年のグッドウッドカップにも勝利していた。チェスターフィールドカップでは4着に終わった。
  6. ^ Mr. Howard。弁護士ヘンリー・パドウィック英語版の馬主名義。ヴィラーゴ英語版で英1000ギニーに勝ち、ジョン・ガリー英語版と共同所有のアンドーヴァー英語版で1854年の英ダービーを制した。
  7. ^ a b 後のリュパン賞
  8. ^ ボワルセルが勝利したのは後のダリュー賞に相当する競走。
  9. ^ a b 2003年にジャンリュックラガルデール賞に改名された。
  10. ^ The Earl。ヤングメルボルンwikidataの牡駒、1865年産。ヴィクトリア女王の生産馬で、2歳時にジムクラックステークスを、3歳時はパリ大賞の他にアスコットダービー(現キングエドワード7世ステークス)やセントジェームズパレスステークスに勝った。
  11. ^ レーシングカレンダーにはザナボブ側が賭け金を半額払って出走を取り消したと記録されているが、山野浩一は『伝説の名馬 Part III』でマッチレースが実施されてストックウェルが楽勝したと記している[27]
  12. ^ レーシングカレンダーには5位入線で着外と記録されているが、フランスギャロのノアイユ賞のウェブページではウェストオーストラリアンに2着したとしている[1]

出典

  1. ^ a b c d e Prix Noailles History: The ancient road to the French Derby” (英語). france-galop.com. France Galop (2022年4月18日). 2025年3月23日閲覧。
  2. ^ Erigero, Patricia. “Vermout” (英語). tbheritage.com. 2025年3月23日閲覧。
  3. ^ a b c d Houël 1866, p. 134.
  4. ^ a b c d e f g Pearson 1872, p. 431.
  5. ^ a b Cavailhon 1889, p. 235.
  6. ^ a b c d Halbronn 1904, p. 111.
  7. ^ "Drinkald, John Shaw. (DRNT827JS)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  8. ^ "DEATH OF MR. J. S. DRINKALD". Bell's Life in Sydney and Sporting Reviewer (英語). 1858年10月16日. オーストラリア国立図書館より2025年3月23日閲覧
  9. ^ Cavailhon 1889, pp. 235–236.
  10. ^ a b c Cavailhon 1889, p. 236.
  11. ^ a b Pearson 1872, pp. 431–432.
  12. ^ a b Pearson 1872, p. 432.
  13. ^ a b Cavailhon 1889, p. 237.
  14. ^ Cavailhon 1889, pp. 237–238.
  15. ^ Cavailhon 1889, pp. 238–239.
  16. ^ Cavailhon 1889, pp. 240–244.
  17. ^ Cavailhon 1889, pp. 244–245.
  18. ^ "Nouvelles françaises". Le Derby (フランス語). 1874年3月14日. フランス国立図書館より2025年3月23日閲覧
  19. ^ Johnson 1853, p. 28.
  20. ^ Johnson 1853, p. 31.
  21. ^ Johnson1853, p. 43.
  22. ^ Johnson 1853, p. 78.
  23. ^ Johnson 1853, p. 139.
  24. ^ Johnson 1853, p. 166.
  25. ^ Johnson 1853, p. 172.
  26. ^ Johnson 1853, p. 275.
  27. ^ 山野浩一「ストックウェル」『伝説の名馬』 3巻、中央競馬ピーアール・センター、1996年、14頁。 ISBN 9784924426498 
  28. ^ Johnson 1853, p. 309.
  29. ^ Weatherby & Weatherby 1853, p. 32.
  30. ^ Weatherby & Weatherby 1853, p. 87.
  31. ^ Weatherby & Weatherby 1853, p. 171.
  32. ^ Weatherby & Weatherby 1853, p. 177.
  33. ^ Weatherby & Weatherby 1853, p. 208.
  34. ^ Weatherby & Weatherby 1853, p. 291.
  35. ^ Weatherby & Weatherby 1853, p. 316.
  36. ^ Weatherby & Weatherby 1853, p. 340.
  37. ^ Johnson 1855, p. 130.
  38. ^ Johnson 1856, p. 13.
  39. ^ Johnson 1856, p. 25.
  40. ^ Johnson 1856, p. 70.
  41. ^ Johnson 1856, p. 75.
  42. ^ Johnson 1856, p. 98.
  43. ^ Johnson 1856, p. 119.
  44. ^ Johnson 1856, p. 364.
  45. ^ Johnson 1856, p. 392.
  46. ^ a b c 5代血統表|血統情報|The Nabob(GB)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2025年3月23日閲覧。
  47. ^ a b c The Nabobの血統表 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2025年3月23日閲覧。

参考文献

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ザナボブ_(競走馬)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ザナボブ_(競走馬)」の関連用語

ザナボブ_(競走馬)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ザナボブ_(競走馬)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのザナボブ (競走馬) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS