ヘンリー・パジェット_(第2代アングルシー侯爵)とは? わかりやすく解説

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ヘンリー・パジェット (第2代アングルシー侯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/02 04:20 UTC 版)

第2代アングルシー侯爵
ヘンリー・パジェット
Henry Paget
2nd Marquess of Anglesey
生年月日 (1797-07-06) 1797年7月6日
没年月日 1869年2月7日(1869-02-07)(71歳没)
所属政党 ホイッグ党
称号 第2代アングルシー侯爵
配偶者 エレノア・キャンベル
ヘンリエッタ・バゴット

貴族院議員
在任期間 1833年6月15日 - 1869年2月7日
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第2代アングルシー侯爵ヘンリー・パジェット: Henry Paget, 2nd Marquess of Anglesey,PC DL、1797年7月6日 – 1869年2月)は、イギリスの貴族廷臣ホイッグ党政治家ヴィクトリア朝初期の1839年から1841年にかけて宮内長官英語版を務めた。

生涯

軍人ヘンリー・パジェット(のち初代アングルシー侯爵・陸軍元帥)と妻キャロライン・ヴィリアーズ英語版との息子として生まれた[1]。異母弟にクラレンス・パジェット卿英語版アルフレッド・パジェット卿英語版ジョージ・パジェット卿英語版がいる[1]

1820年にアングルシー選挙区英語版から出馬して当選、以降は1832年までホイッグ所属の庶民院議員として議席を占めた[2]。懸案のカトリック解放法案については反対であり、解放反対から容認に転じたウェリントン首相やサー・ロバート・ピール内相を批判した。しかしピールの方も「(態度の変化があったのはあなたの父親の)アングルシー侯爵も同じではないか」と切り返し、パジェットが慌てて父を擁護するなどの応酬があった[3]。パジェットは最後まで法案に反対したが[3]、4月13日には1829年ローマ・カトリック信徒救済法が成立した。

1833年6月15日、いまだ父が存命ながら、繰上勅書によりパジェット男爵位を継承して貴族院に列した[2]。1837年、侍従たる議員英語版に選ばれ、1839年まで同職にあった[1]。同年、宮内長官英語版枢密顧問官に就任し[4]、1841年まで長官職を務めた[1][3]。廷臣時代の評判は良くなく、女王ヴィクトリアは彼を『品のない人』とみなしていたとされ、宮中でも愛人を囲っているとの噂もあったという[3]

1854年、父が死去するとアングルシー侯爵を継承した。

1869年、自邸のあるボーディザート英語版で急死した[5]。長男ヘンリーが侯爵位を継承した[1][2]

人物

熱心なスポーツマンで、射撃狩猟競馬クリケットに情熱を注いだほか、道徳的には父と似通っていたとされる[5]

家族

1819年にエレノア・キャンベル(Eleanora Campbell 、1828年没、ジョン・キャンベル英語版の娘)と結婚、一男二女をもうけた[1]

  • ヘンリー・パジェット(1821年 - 1880年)- 第3代アングルシー侯爵
  • エレノア・カロライン・パジェット(1848年没)- 1847年にサー・サンドフォード・グラハムと結婚。
  • コンスタンス・パジェット(1823年 - 1878年)- 1846年に第11代ウィンチルシー伯爵英語版と結婚、子あり。

1833年にヘンリエッタ・バゴット(サー・チャールズ・バゴット英語版の娘)と再婚した。

  • ヘンリー・パジェット(1835年 - 1898年) - 第4代アングルシー侯爵
  • アレクサンダー・バゴット(1839年 - 1896年)- 1880年にヘスター・ステイプルトン=コットンと結婚、子あり。
  • バークリー・パジェット(1844年 - 1913年)- 1877年にフロレンス・チェットウィンドと結婚。
  • フローレンス・パジェット(1842年 - 1907年) - 1864年にヘンリー・チャップリンと婚約するも、直後に第4代ヘイスティングズ侯爵と駆け落ち[6]。その後、サー・ジョージ・チェットウィンド英語版と再婚[6]

脚注

註釈


出典

  1. ^ a b c d e f Heraldic Media Limited. “Anglesey, Marquess of (UK, 1815)” (英語). www.cracroftspeerage.co.uk. Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2022年1月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月3日閲覧。
  2. ^ a b c Mr Henry Paget (Hansard)”. api.parliament.uk. 2022年5月3日閲覧。
  3. ^ a b c d Escott, Margaret (1964). "PAGET, Henry, earl of Uxbridge (1797-1869).". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年5月21日閲覧
  4. ^ "No. 19737". The London Gazette (英語). 28 May 1839. p. 1069.
  5. ^ a b Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 138–140.
  6. ^ a b バーネット, アラステア、ネリガン, ティム 著、千葉隆章 訳『ダービーの歴史ーその世界最高の競馬を語る財団法人競馬国際交流協会東京都港区、1998年、38頁。 

外部リンク

グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代
バークリー・パジェット英語版
庶民院議員
アングルシー選挙区英語版選出

1820 -1832
次代
サー・リチャード・
ウィリアムズ=バークリー英語版
公職
先代
第2代カニンガム侯爵
宮内長官英語版
1839–1841
次代
第5代デラウェア伯爵英語版
名誉職
先代
初代アングルシー侯爵
アングルシー統監英語版
1854–1869
次代
ウィリアム・
オーウェン・スタンリー英語版
イギリスの爵位
先代
ヘンリー・パジェット
アングルシー侯爵
1854–1869
次代
ヘンリー・パジェット
イングランドの爵位
先代
ヘンリー・パジェット
パジェット男爵
(繰上勅書により継承)

1832–1869
次代
ヘンリー・パジェット



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