サーリフによる統治・人物及び評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 06:18 UTC 版)
「サーリフ」の記事における「サーリフによる統治・人物及び評価」の解説
マクリーズィーによるサーリフ評は以下のとおり。 「アル=マリク・アル=サーリフは勇敢かつ不屈の王であったが、矜持と野望に結びついた極度な厳格さと高慢な性格のために恐れられてもいた。礼儀正しく品が良く、淫蕩や大言壮語とは無縁で、下品な言葉や冗談を好まなかった」 彼のもとでアイユーブ朝の治安はよく保たれ、往来の安全も確保された。蓄財を好み、異母兄弟アーディルの母から財産を巻き上げた(一般に、ムスリム君主の徳目としては気前の良さが重視され、吝嗇は好ましいとは見なされない)。 建築を好み、ローダ島のバフリー・マムルークのシタデルや、カイロとローダ島を結ぶ橋、さらにはポロ用と思われる球技場も彼によって建築された。マクリーズィーはローダ島のシタデルを「(エジプトの)統治者達が打ち立てた建築物のうちでもっとも輝かしいものである」と評している。
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