サーリフとマムルーク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 06:18 UTC 版)
即位前から1000騎のマムルークを保持していたサーリフだが、配下のクルド勢やフワーリズム勢の統制に手を焼いた彼は(上述の通り、フワーリズム勢はしばしば彼の指示に従わず無軌道な行動を取った)、トルコ系マムルークをさらに購入して政権の安定化を図った。ダワーダーリーはクルド人やフワーリズミーヤの不忠が増大したために彼がトルコ人マムルークを購入したのだと記している。これらサーリヒーヤ・マムルークは、後にバフリー・マムルークの兵舎がナイルの中洲であるローダ島に設けられるにあたってバフリー・マムルークと呼ばれるようになった(バフルとはアラビア語で「海」の意であり、カイロの人々は大河ナイルをバフルと呼び習わしていた)。 このバフリー・マムルークにはサーリフ死後にマムルーク朝のスルターンとして即位するルクヌッディーン・バイバルスやサイフッディーン・カラーウーン、また即位したカラーウーンに対抗してダマスカスで自立したサンカル・アル=アシュカルなどが含まれていた。 なお、のちのマムルーク朝スルターン、イッズッディーン・アイバクは、サーリフのマムルークではあったがバフリー・マムルークではない。
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