サマルスカイトとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 21:23 UTC 版)
「ワシーリー・サマルスキー=ビホヴェッツ」の記事における「サマルスカイトとの関係」の解説
サマルスキー自身はサマルスカイトおよびサマリウムの研究に関与しておらず、彼の寄与した役割は鉱山の役人としてウラル産の鉱物標本の利用許可をドイツの鉱物学者グスタフ・ローゼ(英語版)に与えただけだった。グスタフは1839年にその試料を新規の鉱物として記述し、彼はその鉱物の主要構成元素がタンタルであると考えuranotantalumと名付けた。1846年から1847年にかけて、グスタフの兄弟であり同僚でもあったハインリヒ・ローゼがこの鉱物の主要構成元素がニオブであることを発見し、混乱を避けるため鉱物の名前を変えることを提案した。ハインリヒは鉱物標本の利用許可を与えたサマルスキーに敬意を表して新たな鉱物名はサマルスカイトとしたいと書き記している。その後いくつかのランタノイド元素がサマルスカイトから単離され、それらの元素の内の一つがポール・ボアボードランによって鉱物名からサマリウムと命名されたことによって、サマルスキーは人物名が元素名の由来となった初めての人物となった。
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