サボ島沖海戦
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サボ島沖海戦(サボとうおきかいせん)は、第二次世界大戦のガダルカナル島周辺において1942年(昭和17年)10月11日深夜〜12日に日本軍とアメリカ軍の間で行われた海戦である。連合軍側の呼称はBattle of Cape Esperance (エスペランス岬沖海戦)[1]。
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- ^ #モリソンの太平洋海戦史159頁
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- ^ a b c d e #エスペランス166頁
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- ^ a b #悲劇の海に眠る艦船115頁
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- ^ a b c d #エスペランス168頁
- ^ a b c d e f g #エスペランス169頁
- ^ #悲劇の海に眠る艦船116頁
- ^ 総員戦闘配置の一段階下の「警戒態勢用意」
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- ^ a b c d e #重巡十八隻128-131頁『ワレアオバの過信』
- ^ 戦史叢書 南東方面海軍作戦<2>192頁
- ^ a b 「昭和16年12月1日〜昭和17年10月12日 第6戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)」p.45
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- ^ a b c d e f g h i #ハンディ判艦艇写真集11p.39『恐るべきレーダーの威力』
- ^ #連合艦隊の生涯165-166頁『(三)サボ島沖海戦』
- ^ a b c #青葉は沈まず180-183頁『艦橋の惨状』
- ^ #武藏上433-434頁
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- ^ a b c #青葉は沈まず178頁
- ^ #図説太平洋海戦史第2巻207頁
- ^ #武藏上436-437頁
- ^ #青葉は沈まず179頁
- ^ #モリソンの太平洋海戦史181頁
- ^ a b c d e f g #エスペランス171頁
- ^ #青葉は沈まず176頁
- ^ #雨倉六戦145頁
- ^ a b c #エスペランス172頁
- ^ a b c #エスペランス173頁
- ^ #日進戦闘詳報(1)p.9『揚陸部隊ハ揚陸続行2250作業終了「ラッセル」諸島西側ヲ通過帰途ニ就ク』
- ^ a b c d e f 戦史叢書 南東方面海軍作戦<2>200-202頁『「叢雲、夏雲」の喪失』
- ^ #日進戦闘詳報(2)p.14『0033|日進|(将旗)9dg|無線|九隊ハ衣笠ト會同敵ヲ攻撃々滅スベシ衣笠2400ノ位置「サボ」島ノ296度47浬針路235度速力28節』-p.22『一二|航海中|一.0020白雪叢雲ヲ古鷹救援ニ向ハシム』
- ^ #モリソンの太平洋海戦史182頁
- ^ a b c d #高松宮日記5巻45頁
- ^ a b c #S1710四水戦日誌(3)pp.17-18『15日1800(将旗)3sd(宛略)3sd機密第151800番電 SNB ZOB戦斗概報第三號/一.十一日夜6Sノ夜戦ニ際シ直衛d吹雪沈没初雪被弾前部水線上破口荒天航行竝ニ二十四節以上ノ航行危険/二.日進千歳11dg(2D欠)9dg(峯雲欠)ハ増援兵力ヲ「ガ」島ニ揚陸シタル後11dgハ古鷹救援ニ赴キ「ソロモン」諸島南方海面ヲ経テ避退中(2/3未着)一四二〇夏雲沈没叢雲大火災爆發収拾ノ途ナク朝雲白雪乗員ヲ収容シテ一旦避退夜陰ニ乗ジ更ニ叢雲ヲ曳航セントセシモ大火災艦尾切断シテ見込ナク遂ニ之ヲ処分セリ 夏雲戦死駆逐艦長以下十七名 叢雲ハ全員行衛不明』
- ^ #海軍駆逐隊(2015)162頁
- ^ #S1710四水戦日誌(2)p.18『十二日1440(司令)9dg(宛略)9dg機密第121440番電 一四二七夏雲沈没我乗員ヲ収容避退ス』
- ^ a b #わが青春と海軍156頁
- ^ #雨倉六戦146頁
- ^ 戦藻録 p.210
- ^ 「昭和17年10月1日〜昭和17年10月31日 軍艦筑摩戦時日誌(1)」第12画像
- ^ #海軍作戦史(昭和18)p.105『敵の巡洋艦、驅逐艦群をサボ島沖に捕へた我巡洋艦戰隊が再び夜戰を展開したのが十月十一日夜のサボ島沖夜襲戰であつた。此の頃のソロモン附近はスコールが相次ぎ月影もない眞黒な夜が續いた。敵の巡洋艦、驅逐艦がサボ島西岸沖を南下中、敵艦を求めて進撃中の我が巡洋艦戰隊がバツタリ海上で遭遇した。敵は我巡洋戰隊目がけて先づ火蓋を切つた。敵彈は先行する我が巡洋艦に先づ命中した。立上りは敵の方が先であつたが、夜襲戰に長年鍛えられた我海軍部隊はまたもその腕前を遺憾なく發揮した。午後九時五十六分、我が攻撃も開始された。先行してゐた敵の驅逐艦が我が二斉射を浴びて火焔をあげて沈んだ。續いて敵巡洋艦等四隻との間に激戦が展開された。二番艦ホノルル型が我が魚雷を受けて火柱に包まれ沈没した。やがて残る巡洋艦に我が砲撃が集中した。砲塔と艦尾に命中彈を受けて火焔をあげた他の巡洋艦はまたもよろめき出した。激戦は約一時間續いたが、我が猛撃に敵艦は夜陰に乗じて遁走した、我方も敵彈を受けた巡洋艦一隻が沈没した。此の夜襲戰で、敵は巡洋艦二隻(うち一隻は轟沈)、驅逐艦一隻撃沈、巡洋艦一隻大破の損害をうけた。』
- ^ a b #モリソンの太平洋海戦史183頁
- ^ #図説太平洋海戦史第2巻210頁
- ^ #図説太平洋海戦史第2巻212頁
- ^ #ニミッツの太平洋海戦史128頁
- ^ #ニミッツの太平洋海戦史150頁
- ^ #内令昭和17年10月(1)pp.2-3『内令第千八百二十五號 横須賀鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 山雲|呉鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 夕霧 驅逐艦 白雲|右警備驅逐艦ト定メラル|昭和十七年十月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
- ^ #S1709呉鎮日誌(4)pp.1-2『四参考(イ)部下艦船(特設艦船ヲ含ム)ノ行動/白雲』
- ^ #S1709呉鎮日誌(4)p.35『廿七(略)官房機密第一三一三五號ニ依リ白雲及夕霧損傷部復舊大修理竝ニ其ノ他整備ノ件指令』
- ^ 「昭和16年6月21日(土)海軍公報(部内限)第3825号 p.19」 アジア歴史資料センター Ref.C12070395800 『○書類竝ニ郵便物表記方ニ關スル件 驅逐艦白雲ト白雪トハ字體見誤易キ爲メ從來モ書類ノ誤送等不尠候處最近其ノ數激増シ重要書類ノ不達、誤達、延着益々多ク甚シキモノハ准士官以上ノ誤着任等アリカクテハ事務處理上遺憾ニ不尠候條書類及郵便物ノ發送ニ當リテハ其ノ表記ニ十分注意相成度
追テ事故防止ノ爲自今左ノ通雲ノ字ニ振假名ヲ添付相成度 「驅逐艦白雲 」(第十二驅逐隊)』
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