ゴアの征服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 14:26 UTC 版)
ゴアはインド西海岸中部のマンドウィー河の河口にある島に位置し、天然の良港を有する。ゴアは11世紀初めから貿易港として発展し、14世紀からはイスラム系王朝の下で馬や香料の貿易で繁栄した。16世紀初めにはイスラーム王朝のビジャープル王国の重要都市であった。1510年2月、ポルトガル王国のインド総督アフォンソ・デ・アルブケルケが1,000人のポルトガル兵を率いて来航し、この都市を降伏させた(ポルトガルによるゴア占領)。しかし、ゴアの要塞が老朽化しており使えなかったため、同年5月にビジャープル王国のスルターンが50,000の兵を率いて攻撃してくると一旦引き上げた。アフォンソ・デ・アルブケルケはポルトガル本国からの増援が到着すると、同年11月2,000のポルトガル兵によってゴアを再び陥落させた。ビジャープルのスルターンは何度もゴアを攻撃したが、奪回できなかった。1512年にはゴア要塞へ通じる水路を制するベナステリム要塞を奪取し、ゴアに病院といくつかの教会を建設した。
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