ケント山の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:51 UTC 版)
「フォークランド紛争」の記事における「ケント山の戦い」の解説
ケント山は、スタンリーを見下ろす位置にあるにもかかわらず、アルゼンチン軍は同地に有力な部隊を配備できずにいた。5月24日のSASの偵察によってイギリス軍もこのことを知り、ただちにここに大兵力を投入しようとしたが、25日の航空攻撃によってヘリコプターが多数失われたために断念され、SASのD中隊のみが山頂を固めた。 29日には海兵隊第42コマンドーがこれを増強する予定だったが、悪天候のために順延された。その直後より、アルゼンチン軍コマンド部隊による攻撃が開始された。アルゼンチン第602特殊作戦中隊第3突撃分隊はケント山の左斜面に降着し、ただちに激しい近接戦闘が展開された。彼らは吹雪に紛れてSASの防衛線に浸透し、SASは後退も検討したが、同地の重要性を鑑み、トンプソン准将はぜひとも同地を保持するよう命じた。 30日の夜明けにはSASが優勢となっており、またアルゼンチン軍の第2突撃分隊が来る兆候がないことから、第3突撃分隊は攻撃を断念して後退した。第2突撃分隊が乗ったヘリコプターは悪天候のために同地に到達できず、離れたところに降着したのち徒歩行軍で同地に向かったため、結局、第3突撃分隊の戦闘に間に合わず、30日夜に戦闘を開始することになった。またこの戦闘中、やっとイギリス海兵隊第42コマンドーが同地に到着し、イギリス側の優位が確立されたことから、同分隊も戦闘継続を断念して後退した。
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