グレナダの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/02 05:49 UTC 版)
「ジョシュア・ロウリー」の記事における「グレナダの戦い」の解説
詳細は「グレナダの戦い」を参照 1778年の末、ロウリーは74門艦のサフォーク(英語版)に異動し、7隻の艦を率いて、サフォークに代将旗を翻して、再び西インド諸島に赴いた。この7隻は、ジョン・バイロン提督への援軍で、1779年2月に、ロウリーはセントルシアでバイロンと合流した。その年の3月19日、ロウリーは青色少将となった。1779年7月6日に、もう一度前衛部隊を率いてシャルル・エクトル提督(英語版)と一戦を交えた。この戦闘は勝負がつかず、すでに終局に向かっていたアメリカ独立戦争の経過に変化をもたらすことはなかった。その後ロウリーは、2隻のフランスのフリゲート艦とスループオブウォー(英語版)を拿捕した、この3隻はフォルトゥーヌ(42門)、ラ・ブランシュ(36門)、そしてエリス(28門)だった。ロウリーは艦隊を率いて、マルティニーク沖で、マルセイユを出発した大規模なフランスの艦隊の拿捕に向かった。
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