グレナダの孤立化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 01:51 UTC 版)
しかし周辺諸国のPRG政権への不信感は払拭されたわけではなく、1982年12月には地域安全保障システム(ECSS)が成立した。これはOECSからグレナダとセントクリストファー・ネイビス、英領モントセラトを除き、バルバドスを加えた地域安全保障システムであり、グレナダのPRG政権を警戒してのものであった。グレナダはソビエト連邦やキューバをはじめとする共産圏諸国と軍事協定を結んでいただけでなく、3000人の兵力を持つ東カリブ圏内における軍事大国であったためである。 1983年3月以降、レーガン大統領はグレナダの軍事基地化を明確に非難するようになった。3月23日には、グレナダに巨大空港が建設されようとしていることを指摘し、これはソ連の軍事基地となると訴えた。また同時期にはOECSとアメリカの軍艦が、バルバドスの軍港から出港してグレナダ海域に接近するという示威行動を取っている。 就任直後からグレナダ侵攻を想定した軍事演習をプエルトリコのビエケス島で行うなど圧迫を強めていった。
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