グリマルディ家支配
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/09 14:24 UTC 版)
オットー・カネッラの子孫であり、彼の長男であるグリマルド・カネッラから名前をとったグリマルディ家は教皇派(ゲルフ)ジェノヴァ人の中で古くから優勢であった一家である。彼らは教皇派と皇帝派の派閥争いから逃れるために、フィエスキを含む、他の様々な教皇派の家を引き連れてモナコに来ていた。フランチェスコ・グリマルディは、ジェノバ共和国の主権の下で、1297年に、グリマルディ王朝を始め、モナコの岩山を支配した。その後1346年にマントン、1355年にロクブリュヌ=カップ=マルタンに支配を広げた。1338年には英仏海峡での軍事行動に、フランスやジェノヴァの軍隊とともに、カルロ・グリマルディ率いるモナコ軍艦が参加した。その際に手に入れた、サウサンプトンからの略奪品はモナコに持ち帰られ、公国の繁栄に寄与した。 モナコ王オノレ2世は、1633年にスペインから、1641年にはペロンヌの条約でルイ8世統治下のフランスから、主権独立を維持した。それ以来、モナコは1793年から1814年5月17日までのフランス革命の間のフランスの支配を除きグリマルディ家の支配下となっている。
※この「グリマルディ家支配」の解説は、「モナコの歴史」の解説の一部です。
「グリマルディ家支配」を含む「モナコの歴史」の記事については、「モナコの歴史」の概要を参照ください。
- グリマルディ家支配のページへのリンク