グランダム:2000-02
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 14:32 UTC 版)
「ダイソン・レーシング」の記事における「グランダム:2000-02」の解説
チームはALMSのタイトル防衛の為に新たに、レイナード・2KQシャーシに早くから関与していたが、デイトナでの初期のテストで、ペースが大きくに離れていることが示され、シャーシはすぐに放棄された。ダイソン・レーシングはライリーアンドスコット・Mk III-フォードを再び使用し、ジェームス・ウィーバーが初開催のロレックス・スポーツカー・シリーズ(グランダム・シリーズ)SRクラスタイトルを獲得した。ハイライトは、デイトナ24時間レースでのクラス優勝と、ワトキンズ・グレン6時間レースを含む4度の優勝があった。 2001年、グランダム・シリーズに再び参戦、5勝を上げ、チームタイトルを獲得した。ジェームス・ウィーバーは2年連続ドライバーズタイトルを獲得、ブッチ・ライツィンガーは2位になった。 2002年、グランダム・シリーズでの最後の1年間となり、6度の優勝を果たし、チームタイトルを獲得した。2001年のワトキンズ・グレン・インターナショナル250でチームでデビューを果たした、クリス・ダイソンは、2002年のドライバーズチャンピオンシップで5勝を挙げて2位に終わり、ルーキーオブザイヤーを受賞した。デイトナ・24時間レースでポイントを獲得できず、ダイソンはわずか2ポイント差でタイトルを獲得できなかった。 チームのライリーアンドスコット・MkIIIは、1995年から2002年まで38回の勝利を収め、デイトナ24時間レースで総合優勝2回、クラス優勝2回を記録した。
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