グエント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/08 04:26 UTC 版)
アヌン・ジー Anwn Ddu(この時のダヴェドの統治者と同一人物); ウェールズの伝説ではマグヌス・マクシムスに任命された。一部の系譜図は彼をマグヌスの息子であると主張している。王国は彼の死によって息子のエディンヴェド(Edynved)とトゥドゥアル(Tudwal)の間で分割された。 カエル・ウェント(Caer-Went) エディンヴェド・アプ・アヌン、ダヴェドの統治者でもある アニル・アプ・ダヴヌアル(ウェールズ語版)・アプ・エドヴェドと妻の聖マドリン(英語版)・ヴェルフ・グエルセヴィル(英語版); 「ホノリウス(Honorius)」のウェールズ語名 イゾン・アプ・アニル Iddon ap Ynyr (480 - 490) (剛腕の)カラーダク(英語版) メイリグ・アプ・カラドグとその妻ダヴン・ヴェルフ・グリウィス エルビク・アプ・メイリグ Erbic ap Meurig ? カエル・レオン(Caer-Leon) トゥドゥアル・アプ・アヌン Tudwal ap Anwn テイスリン・アプ・トゥドゥアル Teithrin ap Tudwal テイスヴァスト・アプ・テイスリン Teithfallt ap Teithrin(Theudebaldのウェールズ語名) テウドリグ(英語版)、テイスヴァストの息子 (490 – 493/517)(Theodoricのウェールズ語名)。伝承では、テウドリグにはマルヘス・ヴェルフ・テウドリグと言う娘がいた。テウドリグは娘の結婚時にブラヘイニョグを分与した。 メイリグ・アプ・テウドリグ(英語版)、グエント王 (493/517 – 530–540) アスルゥイス・アプ・メイリグ(英語版)、グエント王 (530–540 - 573) ヴリオク・アプ・メイリグ Frioc ap Meurig、イドネルス・アプ・メイリグ Idnerth ap Meurig と共に? イセル・アプ・アスルゥイス Ithel ap Athrwys 大モルガン Morgan the Great ? 礼節と慈善のモルガン Morgan the Courteous and Benefactor ? (-654) アンスレス・アプ・モルカント Anthres ap Morcant ? (654-663) 裕福王モルガン(英語版) (- 730) イセル・アプ・モルガン(英語版) (710/715 - 735/740/745/755) フェルンヴァエル・アブ・イドゥアル(英語版) (- 774/777) アスルゥイス・アプ・フェルンヴァエル Athrwys ap Ffernfael (774-810) イドゥアソン・アプ・グルガント Idwallon ap Gwrgant (810-842) イセル・アプ・ハウエル(英語版)またはアプ・アスルゥイス? (842-848) メイリグ・アプ・ハウエル(英語版)またはアプ・イセル? (848-849) メイリグ・アプ・アルスヴァエル・ヘーン Meurig ap Arthfael Hen (849-874) フェルンヴァエル・アプ・メイリグ(英語版) (874-880) ブロフヴァエル・アプ・メイリグ Brochfael ap Meurig (880-920) アルスヴァエル・アプ・ハウエル Arthfael ap Hywel (-916/927) オーワイン・アプ・ハウエル(英語版) (920-930) カデス・アプ・アルスヴァエル Cadell ap Arthfael (930-940/943) 老モルガン(モルガン・ヘーンまたはモルガン・アブ・オーワインまたはモルガン・ヘーン・ヴァウル)(940/943–955)、942年にグエント王国とグラウィシング王国を合併しモルガヌグとしたが、死後に再びすぐ分裂し、1055年頃まで分かれたままだった。ノウイ・アプ・グゥリアド・アプ・ブロフヴァエル・アプ・ロドリ・アプ・アルスヴァエル・ヘーン Nowy ap Gwriad ap Brochfael ap Rhodri ap Arthfael Hen、グエントを統治 (c. 950–c. 970) したが、オーワイン・アプ・モルガンの兄弟たちと、おそらく老モルガンの下で、共同統治(期間は不明) その息子、アルスヴァエル・アプ・ノウイ Arthfael ap Nowy(およそ970–983) その従兄弟、ロドリ・アプ・エリセズ Rhodri ap Elisedd (983–c. 1015)、兄弟と共同統治 グリフィズ・アプ・エリセズ Gruffydd ap Elisedd (983–c. 1015) その従兄弟?、エドゥイン・アプ・グゥリアド(英語版) (1015–1045) ハウエル・アブ・オーワインの息子、メイリグ・アプ・ハウエル(フランス語版) (1045–1055)、息子と共同統治 その息子、カドゥガン・アプ・メイリグ(英語版) (1045–1055) 侵略者、グリフィズ・アプ・サウェリン、グゥイネッズ公 (1055–1063)、死後は前任者が王位を継いだ。 カドゥガン・アプ・メイリグ (1063–1074)、モルガヌグ王でもあった。 グリフィズ・アプ・リゼルフの息子、カラドグ・アプ・グリフィズ (1075–1081)、グエント王国とモルガヌグ王国を奪った。 イェスティン・アプ・グルガント (1081–1091) イェスティンは独立したモルガヌグの最後の統治者だった。モルガヌグはその後ノルマン人の所有物となり、グラモーガン(英語版)領地となった。 オーワイン・アプ・カラドグ Owain ap Caradog (1081-1113/1116)
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