ダヴェド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/08 04:26 UTC 版)
アヌン・ジー Anwn Ddu (c. 357)("黒のアントニウス" のウェールズ語訳); ウェールズの伝説によれば、ギリシア生まれで、その後マグヌス・マクシムスによってデメティアの統治者に任命された。アヌン・ダノド(Anwn Dynod、ラテン語名Antonius Donatus)としても知られる。王国はグウェントとブラヘイニョグ(英語版)を含んだ。 エドナヴェド Ednyfed (c. 373); 王国はグエントのカエル・ウェント(英語版)地方も含んだ(残りは兄弟が相続した)。 クロトリ Clotri (c. 405) トリフィン・ヴァルヴォグ(英語版) (c. 385) アエルゴル・ラウヒル(英語版) (to c. 515) ヴォルティポリウス (c. 540) Arthur ap Pedr (c. 585) クロテン(英語版) (c. 630); ブラヘイニョグのケインドレフと結婚し、2つの王国が連合した。 ライン・アプ・カドゥガン(英語版) (c. 690-740); ブラヘイニョグの王でもあった。死後、王国は息子たちによって再び分割された。 テウドゥル・アプ・ライン Tewdwr ap Rhain (c. 710) マレディズ・アプ・テウドゥル(英語版) (c. 740–797) ライン・アプ・マレディズ(英語版) (c. 797–808) オーワイン・アプ・マレディズ(英語版) (c. 808–811) トリフィン・アプ・ライン(英語版) (to c. 814) ハファイズ(英語版) (c. 830 生まれ, 在位 ?-893) サワルフ・アプ・ハファイズ(英語版) (c. 893-904) ロドリ・アプ・ハファイズ(英語版) (c. 904-905) ハウエル・ザー(英語版)("ハウエル善良王") (c. 905-909)、ダヴェドを征服したセイサスグからの侵略者(しかし後世の年代記は彼がスワルフの娘との結婚によってダヴェドを獲得したと主張している)。
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