ギャヴィストン寵愛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 14:10 UTC 版)
「エドワード2世 (イングランド王)」の記事における「ギャヴィストン寵愛」の解説
即位とともにギャヴィストンに異常な寵愛を注いだ。ギャヴィストンに王族専用の爵位コーンウォール伯(英語版)位を与えるとともに王の俸禄配分権 (Patronage) を差配させた。 1308年1月にはフランス王フィリップ4世の娘イザベラとフランスにおいて結婚したが、この不在の間、ギャヴィストンを摂政に任じている。諸侯は以前からエドワード2世のギャヴィストン寵愛を不快に思っていたが、これをきっかけに反発が一気に高まった。 イザベラを伴って帰国した後の1308年2月25日に戴冠式に臨んだが、この時もギャヴィストンを王冠奉持者にして重用している。ギャヴィストンは自分に敵意を飛ばす諸侯にわざと恥をかかせるようなふるまいをし、さらに王妃イザベラの叔父たちにも無礼を働いた。この叔父たちは怒って席を立ってフランスへ帰国してしまったほどだった。 1308年の議会に諸侯は武装して集まり、エドワード2世を威圧してギャヴィストン追放を要求した。屈服したエドワード2世はギャヴィストンをアイルランド総督に任じてロンドンから遠ざけることで諸侯と妥協した。この際もエドワード2世はギャヴィストンとの別れを惜しみ、アイルランドへ向かうギャヴィストンの見送りにブリストルまで同行した。さらに翌1309年の議会でエドワード2世は議会からの様々な要求を受け入れる代わりにギャヴィストンを呼び戻す許可を得、ギャヴィストン寵愛を再開した。
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