キャンパーダウンの海戦へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/20 05:56 UTC 版)
「1796年5月12日の海戦」の記事における「キャンパーダウンの海戦へ」の解説
ホルステッドは拿捕船をイギリスに連れて帰り、「アルホ」と「マーキュリー」はイギリス海軍により買い取られ、それぞれ「ジャヌス」と「ヘルメス」という名で就役した。「アルゴ(アルホ)」、「マーキュリー(メルクリウス)」共々、既にイギリス海軍の軍艦の名前として存在していたためである。この海戦でのイギリスの損害は、1人が戦死、3人が負傷だった。これは「アルゴ」との戦闘中に、「フェニックス」の艦上で起きたものだった。この戦闘以外ではイギリス、オランダ共に死傷者はなかった。この海戦は1796年位オランダ沖で行われた海戦として唯一大きなもので、それというのもダンカンの艦隊が、オランダ艦隊をテセルの宿泊地の内部に抑えていたからだった。しかし1797年10月、オランダの主力艦隊は停泊地を抜け出して、イギリス沿岸へ襲撃を行えることが可能になった。ダンカンはテセルへ戻るこの艦隊を阻止し、10月11日のキャンパーダウンの海戦で、決定的な勝利をオランダに負わせることになった。
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