ガジ・フスレヴ=ベグ・モスク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 05:07 UTC 版)
「サラエヴォ」の記事における「ガジ・フスレヴ=ベグ・モスク」の解説
1900年ごろに描かれたガジ・フスレヴ=ベグ・モスク。 モスクの庭の様子 ガジ・フスレヴ=ベグ・モスクは、ガジ・フスレヴ=ベグ(Gazi Husrev-beg)によって1531年に建てられたモスクであり、美しいオスマン建築の建築物である。モスクを設計したのはミマール・スィナンであり、スィナンはヴィシェグラードのソコルル・メフメト・パシャ橋や、イスタンブールのスレイマニエ・モスクを設計した人物である。 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のとき、モスクはボシュニャク人の象徴として攻撃対象とされ、サラエヴォ包囲ではガジ・フスレヴ=ベグ・モスクも大きく損傷を受けた。紛争終結後の1996年から修復が始まった。しかしながら、このときの修復資金にはサウジアラビアからのものが多く、修復に際してはワッハーブ派の影響を受けた。修復後のモスクからは色彩や装飾的な要素は取り払われ、白を基調とした質素なつくりとなった。2000年から、モスクを紛争前の姿に戻すための、完全な修復の作業が始まった。単に「ベグのモスク」(Begova džamija)とも通称される。
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