カール12世の逃避行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 14:45 UTC 版)
「ポメラニア戦役 (1715年-1716年)」の記事における「カール12世の逃避行」の解説
1715年12月23日、部分的に凍結していたシュトレーラ海峡は小舟に乗り合わせた4名の脱出を滞らせていた。そのため、この逃避行はまる1日続いた。これは誰の目にも遠くから見ることができ、その意味は残った守備隊にとって歴然としていた。デンマーク国王フレゼリク4世もこれを見て、一行を撃つべく砲兵隊を配置に就かせる。彼はカール12世を、絶対に逃したくなかった。シュトラールズントで捕らえられなければ、命を奪うべきだと考えていたのである。 プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は、カール12世をその軍人としての美徳ゆえにとても尊重していたとされ、辛抱強くフレゼリク4世と言い争い、カール12世への砲撃を止めさせようとしたとされる。それでも砲兵隊が射撃を続けると、軍人王はプロイセン軍のある連隊を砲口の前に進ませた。そして、「まず我々を撃たれよ。」と叫んだという。
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