カーボロの設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 22:33 UTC 版)
「オレンジ郡 (ノースカロライナ州)」の記事における「カーボロの設立」の解説
チャペルヒルの西にあったので当初はウェストエンドと呼ばれたカーボロの町は、1882年に州立大学鉄道の周りに設立された。この鉄道はノースカロライナ大学に客を運ぶために建設されていた。その駅は、住民の邪魔をしないためと、学生が列車でキャンパスを去るのを難しくするために、大学キャンパスから西に約1マイル (1.6 km) 離れた場所にあった。 1898年、チャペルヒルのトマス・F・ロイドが駅の側にアルバータ綿糸工場を建設した後で、ウェストエンドの住人が増加した。ジュリアン・シェイクスピア・カーがこの工場や近くの建物を1911年に購入し、ダーラム・ホージャリー・ミルズとなった工場ネットワークに加えられた。ウェストエンドは1911年に法人化され、化学者でノースカロライナ大学学長のフランシス・プレストン・ベナブルに因み、町の名をベナブルに改名した。その2年後、町名はカーボロと改名された。これはカーが通りを造り、町に電気を引き、工場の建物を拡張したからだった。その後、当初の工場は何度か持ち主を変えた。カーボロ市議会は1975年に工場を解体しようとしたが、住民の請願と寄付集めによりカー・ミル・モールとして再生された。カーボロの鉄道駅は地元製材業の用に供し、カーボロは堅木枕木市場の主要中心地となった。 カーボロの町でも特徴ある建築物は約150ある工場用住宅群であり、1910年代から1930年代に建設された。その住宅の多くは改修されたが、更に多くは破壊された。これら住宅はロイドやカーがその労働者と家族のために建設したものだった。
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