カンタクゼノスの家系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/14 04:58 UTC 版)
「ヨハネス6世カンタクゼノス」の記事における「カンタクゼノスの家系」の解説
カンタクゼノス家は11世紀末に初めて歴史上に登場する帝国の名門で、マヌエル1世コムネノス帝の時代には皇帝の縁戚にも名を連ね、その他の帝国の名門とも婚姻関係を結んでいた。後に皇帝となるヨハネスの血統的出自に関しては不明なところが多いが、祖父と目されるミカエル・カンタクゼノスが東ローマ領ペロポネソス半島で対アカイア公国戦役に従事しており、父(奇妙な事にヨハネスは自分の父親の名前を自らの歴史書に記録していない)もペロポネソスの行政官を務めていた。また母テオドラ・パレオロギナ・カンタクゼネ(1342年没)はミカエル8世パレオロゴス帝の姉マリア=マルサ・パレオロギナ(1215年 - 1267年)の孫娘である。父は1294年頃、ヨハネスの誕生を前に死去した。ヨハネスは青年期にエイレーネー・アサニナを妻に迎えたが、彼女の祖父は第二次ブルガリア帝国の皇帝イヴァン・アセン3世で、その妻はミカエル8世の娘エイレーネーであった。
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