カヌーの大きさ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/11 00:16 UTC 版)
プトゥン人たちは、大量の荷物をカヌーによって運んだ。カヌーにはさまざまな大きさがあったようで、ティカル1号神殿の墓から出土した骨細工に、7人乗りのカヌーの絵が刻まれていたが、スペイン人の記録の中には、50人乗りの船があったという記録もある。コロンブスの4回目の航海が行われた、1502年に幅が2.4mで「ガレー船ほどの大きさ」の丸木舟に出会ったという記録には、漕ぎ手は20人ほどで、船長は家族を伴って航海していて、船の中央部分には、パームヤシで屋根をふいた船室があり、彼らは木綿の衣服を着ていて、積み荷にも染色した木綿の衣類やショールがあった、という。船員たちは、カカオ豆を非常に大切に扱って、こぼれたりしてなくさないかとカヌーの底をカカオ豆を探している様子がみられたという。ほかの積み荷として、木製の柄に黒曜石やフリントの刃をつけた「剣」のような武器、銅製の鐘やオノ、銅を溶かして加工するための「るつぼ」がみられる、という。トンプソンは、グアテマラ、アティトラン湖畔のツトゥヒル族のカヌーのように40人以上が乗れるカヌーがあったという。
※この「カヌーの大きさ」の解説は、「プトゥン人」の解説の一部です。
「カヌーの大きさ」を含む「プトゥン人」の記事については、「プトゥン人」の概要を参照ください。
- カヌーの大きさのページへのリンク