カニンガムの解任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 01:04 UTC 版)
「クルセーダー作戦」の記事における「カニンガムの解任」の解説
23日、カニンガムはイギリス軍がトブルク前面で潰滅したことから撤退の承認を求め、これに対しオーキンレックは空軍のアーサー・テッダー (Arthur Tedder) 中将を同伴してカイロの司令部から第8軍司令部へ飛び、両者の間で激論が交わされた。ドイツ軍のエジプト侵攻に対しトブルクへの攻勢を中止し全軍をエジプトへ戻し防御すべきと提案したカニンガムに対し、オーキンレックはウェーヴェルの失敗に鑑み、攻勢を維持するよう厳命した。オーキンレックは25日にカイロの司令部に戻り、カニンガムを第8軍司令官から解任して、中東方面軍参謀次長のニール・リッチー少将を第8軍司令官に任命し、攻勢の続行を命じた。チャーチルはこの人事の報告を受け直ちに承認した。 イギリス軍の当初の作戦計画が頓挫してしまったため、リッチーは直ちにトブルク前面の第7機甲師団の崩壊を防ぎ、全部隊を再編成する必要があった。この時間稼ぎのために、後方撹乱と情報収集を目的としたジョック (John Charles Campbell) 戦列と呼ばれる小規模な戦闘パトロール隊を20隊以上編成し、枢軸国軍の背後(主にイタリア軍)に送り込み効果を上げた。
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