オーストリアの軍事的準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 11:27 UTC 版)
「ウルム戦役」の記事における「オーストリアの軍事的準備」の解説
オーストリア皇帝の弟のカール大公は宮廷軍事局の権力を把握した1801年から、オーストリア軍の改革を始めていた。軍政治評議会はオーストリア軍の政策決定を担っていた。カール大公は最も優秀なオーストリアの指揮官であったが、宮廷では人気がなく、彼の意見は外交に反映されず、オーストリアはフランスに宣戦布告した。 マック将軍がオーストリア軍の新たな総司令官に就任し、戦争前に歩兵の軍編成の改革を行った。もともとオーストリア軍は1連隊を3つの大隊、そして大隊を6つの中隊により編成していたが、1連隊を4つの大隊、大隊を4つの中隊により編成し直した。この急な変更は将校の訓練と調和しなかったため、新たに編成された軍の指揮は十分な戦術的訓練を受けていない指揮官に委ねられた。 オーストリアの騎兵はヨーロッパで最良の騎兵であると見なされていたが、多くの騎兵が歩兵の陣営に組み込まれてたため、結束したフランス軍に対抗する力とはなり得なかった。一方のナポレオンは大量の騎兵師団を運用し、戦局に影響を与えた。
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