オルコメノスの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/01 09:30 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動オルコメノスの戦い | |
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戦争:第一次ミトリダテス戦争 | |
年月日:紀元前85年 | |
場所:ボイオティアのオルコメノス | |
結果:ローマの勝利 | |
交戦勢力 | |
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ポントス王国 |
指導者・指揮官 | |
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アルケラオス |
オルコメノスの戦い(オルコメノスのたたかい, 英:Battle of Orchomenus)は、第一次ミトリダテス戦争において紀元前85年に戦われた会戦である。
この戦いはボイオティア地方のオルコメノスにて、古代ローマとポントス王ミトリダテス6世の軍勢の間で行われた。ローマ軍の司令官はルキウス・コルネリウス・スッラで、ミトリダテス軍の司令官はアルケラオスであった。 ローマ軍の勝利に終わり、アルケラオスは後にローマに亡命した。
オルコメノスの戦い
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「ルキウス・コルネリウス・スッラ」の記事における「オルコメノスの戦い」の解説
スッラはボイオティアのオルコメノス付近でアルケラオスの残存兵と対峙していたが、ミトリダテスが新たに8万の援軍を差し向けていることを知ると、アルケラオスを攻撃した。だがローマ兵は以前のアルケラオスの強さに怖じ気づいていた。スッラは兵たちの間を駆け回って督戦し、奮起した兵たちを最後まで励まし続け、アルケラオスの息子を討ち取って勝利した。この戦いで崩壊しかかった戦列の前に出たスッラは剣を抜き、「おめおめと逃げ帰って、司令官はどうしたと聞かれたら、こう答えろ!ボイオティアで戦っておられますとな!」と兵たちに叫び、それを恥じた兵はスッラに続いて戦ったという。これらの戦いでスッラはインペラトルと歓呼された。アルケラオスはカルキスに逃げ延び、スッラはテッサリアで越冬を決め、自らも船を建造しつつルクッルスの艦隊を待った。
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