オリンピック・マルセイユ時代
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「バンジャマン・メンディ」の記事における「オリンピック・マルセイユ時代」の解説
2013年7月8日、オリンピック・マルセイユに移籍した。前シーズンにマルセイユをリーグ2位に導き、UEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得を果たしたエリ・ボー監督によって獲得された。8月11日、EAギャンガン戦でマルセイユでのリーグ戦デビューを果たし、9月24日のASサンテティエンヌ戦で移籍後初得点を記録した。10月1日、ボルシア・ドルトムント戦で欧州カップ戦初出場を果たした。マルセイユは、チャンピオンズリーグのグループリーグで全敗し、ボー監督は解任され、ホセ・アニゴ(英語版)監督が就任した。アニゴ監督は、メンディの起用を控え、シーズン最後の14試合の内1試合のみ先発出場した。2014年4月20日、リール戦での先発出場は、元フランス代表のエリック・ディ・メコから批判を受けた。シーズン終了後、2014年のゴールデンボーイ賞の候補者40人に選ばれた。2014-15シーズンは、マルセロ・ビエルサ監督の下で成長し、ビエルサは昨シーズン失った力強さとアグレッシブさを取り戻させたとメンディは主張した。このシーズンはリーグ戦33試合に出場し、6アシストを記録し、UEFAヨーロッパリーグ出場権獲得に貢献した。2015年9月23日、トゥールーズFC戦でジャン=ダニエル・アクパ=アクプロへのファールでレッドカードを提示され退場処分を受けた。これにより2試合の出場停止処分を受けた。その後、2016年1月3日のクープ・ドゥ・フランス、SMカーン戦でハムストリングを負傷し、13試合を欠場した。マルセイユでは、3シーズンで5人の監督の下でプレーし、101試合に出場して14アシストを記録した。
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