オトカル・ノヴァーチェクとは? わかりやすく解説

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オトカル・ノヴァーチェク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/01 14:45 UTC 版)

オトカル・オイゲン・ノヴァーチェク
Ottokar Eugen Nováček
ノヴァーチェク・クァルテット(左から2番目)
基本情報
生誕 (1866-05-13) 1866年5月13日
出身地 オーストリア=ハンガリー帝国 ハンガリー王国、フェールテンプロム(ベラ・ツルクヴァ英語版
死没 (1900-02-03) 1900年2月3日(33歳没)
職業 ヴァイオリンおよびヴィオラ奏者、作曲家

オトカル・オイゲン・ノヴァーチェク[1]チェコ語: Ottokar Eugen Nováček, 1866年5月13日 - 1900年2月3日)は、オーストリア=ハンガリー帝国出身のチェコ人ヴァイオリンおよびヴィオラ奏者、作曲家

生涯

1866年、フェールテンプロム(現ヴォイヴォディナベラ・ツルクヴァ英語版)に生まれた。父マルティン・ヨーゼフ・ノヴァーチェクに音楽の手ほどきを受けた後、1880年から1883年までウィーンヤーコプ・ドントに入門し、ライプツィヒ音楽院ヘンリ・シュラディークアドルフ・ブロツキーに師事し、1885年にメンデルスゾーン賞を獲得する。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とブロツキー弦楽四重奏団に入団し、当初はヴァイオリン奏者として、後にヴィオラ奏者として活動した。

その後に渡米し、1891年アルトゥール・ニキッシュ指揮下のボストン交響楽団に入団した後、1892年から1893年までニューヨーク・ダムロッシュ管弦楽団の首席ヴィオラ奏者に迎えられた。1899年心臓病により演奏活動から引退することを余儀なくされ、作曲活動に専念した。ニューヨークにて没。

兄弟のルドルフ、カレル、ヴィクトルも音楽家になっている。

作曲作品

主要な大作に3つの弦楽四重奏曲(順に1890年1898年1904年出版)と、フェルッチョ・ブゾーニにより初演されたピアノ協奏曲1894年作曲)、8曲の『協奏的奇想曲』 (Concerto caprices) がある。しかし作曲家としては、『常動曲』(無窮動)に代表されるヴァイオリンとピアノのための性格的小品で名高い。声楽曲では、6曲からなる『レフ・トルストイ歌曲集』がある。

脚注

  1. ^ 姓は「ノヴァチェク」、「ノヴァチェック」と日本語表記されることがある。

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