オクウィ・エンヴェゾーとは? わかりやすく解説

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オクウィ・エンヴェゾー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/02 02:59 UTC 版)

Okwui Enwezor
生誕 23 October 1963
Calabar, Nigeria
国籍 Nigerian
職業 Curator
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オクウィ・エンヴェゾー (Okwui Enwezor, 1963年10月23日 - 2019年3月15日)[1]は、美術史が専門のナイジェリアキュレーター美術批評家、ライター、 詩人教育者。 ニューヨーク[2] とミュンヘン在住。 2014年、アートレビュー誌の「アート業界で最も影響力のある100人」の24位にランクインした。[3]

略歴

オクウィ・エンヴェゾーは、1963年にナイジェリアのアウクズにて、裕福なイボ人一族の末っ子として生まれた。[4] 1982年、オクウィはナイジェリア大学で半学期を迎えた後、18歳でブロンクスに移った。[5] 1987年、ニュー・ジャージー・シティ大学で政治学の学士号を取得した。

キュレーターとして

オクウィ・エンヴェゾーは、ドイツミュンヘンにあるハウス・デア・クンストのディレクターだった[6]。彼はまた、ニューヨーク市の国際写真センターのキュレーターや、ホイットニー美術館でジョアン・キャスロのフェローを務めた[7]

エンヴェゾーは1998年から2002年までドイツカッセルで開催されるドクメンタ11の芸術監督を、ヨーロッパ人以外からは初の人物として任命された[8] 。 2013年にはヴェネツィア・ビエンナーレ2015のキュレーターを、120年の歴史の中で初のアフリカ出身者として務めた[9][10]

彼はまた、第2回ヨハネスブルグ・ビエンナーレ(1996年から97年)、スペインセビリアで開催されたセビリアビエンナーレ(Bienal Internacional de Arte Contemporaneo de Sevilla)(2006年)、韓国の第7回光州ビエンナーレ(2008年)、パリパレ・ド・トーキョーのアートトリエンナーレ国際現代美術展(2012年)のキュレータを務めた[11][12] 。共同キュレーターとしては、大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレメキシコの五大陸:絵画ビエンナーレ、およびシカゴ美術館でのスタン・ダグラス 「Le Detroit」展など。

フランスの哲学者ジャック・ランシエールは、アートは社会批判、文化批判が可能であり、芸術作品が世界状況に関する包括的な省察ができるとしてオクウィ・エンヴェゾーは、2006年に開催されたセビリアビエンナーレを、グローバリゼーションの時代における「社会的・経済的・政治的絆を抹殺し破壊させる装置(The Unhomely. Phantomal Scenes is the glabal World)」を暴くためのものと定めていると、考察している[13]

1998年、オクウィ・エンヴェゾーはシカゴ美術館で副学芸員となり、また世界中の多くの著名な美術館で展覧会を開催した。ドイツでの「ポートレイトと社会的アイデンティティ」ヴァルターコレクション。「アーカイブフィーバー:現代美術における文書の使用」国際写真センターニューヨーク。巡回展「短い世紀:アフリカにおける独立と解放の動き、1945から1994年」ミュンヘンヴィラ・シュトゥックベルリンのマルティン・グロピウス・バウ、シカゴ現代美術館ニューヨークのMoMA PS1。「センチュリー・シティ」展をロンドンテート・モダン。「ミラーズエッジ」展をスウェーデンウメオにあるビルド・ムセアットと、カナダバンクーバー美術館イギリスグラスゴーのトラムウェイアートセンター、イタリアトリノのリヴォリ城。「In / Sight:アフリカン・フォトグラファー 1940年から現在」展、グッゲンハイム美術館。「グローバル・コンセプチャリズム」展、ニューヨークのクイーンズ ミュージアム、ミネソタ州ミネアポリス市のウォーカー・アート・センター、シアトルのヘンリー・アート・ギャラリー、 ケンブリッジのMIT リスト・ヴィジュアル・アートセンター。「デイビット・ゴールドブラット:51年」展、バルセロナ現代美術館、ニューヨークの AXA ギャラリー、ブリュッセルのパレ・デ・ボザール、ミュンヘンのレンバッハハウス美術館ヨハネスブルグ美術館、ロッテルダムのヴィッテ・デ・ヴィット現代美術センター。

病没

2018年6月、エンヴェゾーはミュンヘンのハウス・デア・クンストのディレクターを辞職した。理由の一つにガンとの闘病があった[14]。2019年3月15日、55歳で病没した[1]

参考文献

脚注

  1. ^ a b Okwui Enwezor, Pivotal Curator of Contemporary Art, Is Dead at 55”. 2019年3月17日閲覧。
  2. ^ Rutger Pontzen, "I have a global antenna" (Interview with Okwui Enwezor), in Virtual Museum Of Contemporary African Art.
  3. ^ 2014 POWER 100”. Art Review. Art Review. 29 June 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。23 January 2015閲覧。
  4. ^ Zeke Turner (8 September 2014), How Okwui Enwezor Changed the Art World Wall Street Journal.
  5. ^ Roberta Smith (28 October 1998), "Nigerian to Direct Next Documenta", New York Times.
  6. ^ Haus der Kunst sucht neuen Direktor” (2019年). 24 March 2019閲覧。
  7. ^ Okwui Enwezor La Triennale”. La Triennale de Paris (2012年). 18 April 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。5 October 2012閲覧。
  8. ^ Documenta 11: Okwui Enwezor”. Universes in Universe (2002年). 5 October 2012閲覧。
  9. ^ Okwui Enwezor leitet Venedig-Biennale”. Monopol Magazin (2013年). 4 December 2013閲覧。
  10. ^ Javier Pes (4 December 2013), "Okwui Enwezor named director of the 2015 Venice Biennale", The Art Newspaper
  11. ^ OKWUI ENWEZOR - San Francisco Art Institute Archived 2008-04-22 at the Wayback Machine.
  12. ^ Journal des Arts no. 334 (5–18 November 2010), p. 3.
  13. ^ #解放された観客│p=32
  14. ^ Ulrike Knöfel. “'It's An Insult, Yes': Okwui Enwezor on his Ignominious Farewell from Munich - Frontpage - e-flux conversations”. conversations.e-flux.com. 15 March 2019閲覧。 (Originally published in German at Spiegel Online, 17 August 2018.)



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