エリシャの死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/06 07:52 UTC 版)
ヨアシュ王の時代、エリシャは死をもたらす病を患った。それを知ったヨアシュは彼のもとを訪れ、その偉大な業績に敬意を表したのだが、その際、エリヤとの別れ際にエリシャが叫んだのと同じ言葉で哀悼の辞を述べている。 「 「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」(13:14) 」 エリシャは、アラムとの戦におけるイスラエルの圧倒的な勝利を預言したのを最後に、臥所で息を引き取った。 数世紀前にパレスチナを訪れた旅行家の中に、サマリアにあるシャイフ・アリの墓とシャイフ・エリアスの墓のいずれかがエリシャに関係していると主張する者がいた(ただし「エリアス」は「エリヤ」のアラビア名)。その墓とされる記念碑は現在、シケム(ナーブルス)からケファル・サバに下る道すがらにあるシャイフ・エリアスと呼ばれる村にあるのだが、それはかつてこの村の北部にあった集落の名称シャイフ・アリにちなんで建てられたともいわれている。また、エリシャの死に関する描写の中に「イスラエルの王ヨアシュが下って来て訪れ」(13:14)という記述があるのだが、これは伝統的に、サマリアから海岸地帯へ向けての旅程であったと解釈されている。 エリシャはその死後に及んでも、なおも奇跡を行ったとされている。彼が埋葬されてからおよそ一年後、ある人物の遺体が同じ墓穴に投げ込まれたのだが、エリシャの骨がその遺体に触れたところ、その人物は自分の足で立ち上がったとする逸話が『列王記下』(13:20)には残されている。
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