エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ (軽巡洋艦)とは? わかりやすく解説

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エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ (軽巡洋艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/02 14:01 UTC 版)

エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ
基本情報
運用者  イタリア王立海軍
艦種 嚮導巡洋艦 (軽巡洋艦)
級名 エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ型
艦歴
起工 1932年10月29日
進水 1934年4月22日
就役 1935年7月13日
最期 1949年3月、 戦争賠償としてソ連に譲渡
その後 1960年代に解体
要目
基準排水量 8,450トン
満載排水量 10,539トン
全長 186.9 m m
最大幅 17.5 m
吃水 6.1 m
ボイラー ヤーロー重油専焼水管缶6基
主機 パーソンズ式(サヴォイアはベルッツォ式)ギヤード・タービン2基2軸推進
推進 2軸
出力 計画 110,000 hp
速力 36.5 ノット
航続距離 3,900 海里 / 14ノット
乗員 578名
兵装 Models 1929 15.2cm(53口径)連装砲4基
Models 1924 10cm(47口径)連装高角砲3基
Models 1932 3.7cm(54口径)連装機関砲4基
Model 1931 13.2mm(75.7口径)連装機銃6基
53.3cm三連装魚雷発射管2基
装甲 舷側:70~105mm(水線部)
甲板:35mm
主砲塔:90mm(前盾)
主砲バーベット:100mm
司令塔:100mm
搭載機 水上偵察機2機、カタパルト1基搭載
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エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ (イタリア語: Emanuele Filiberto Duca d'Aosta) は、イタリア王立海軍第二次世界大戦で運用したエマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ級軽巡洋艦[1]。イタリア降伏後、ソビエト連邦賠償艦として割譲され、黒海で運用される[2]。当初はスターリングラード (Сталинград) 、次にケルチ (Керчь) に改名され、1960年代まで使用された[3]

概要

エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタは、コンドッティエリ軽巡洋艦の4番目のサブクラスに属していた。エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタのデザインは、ライモンド・モンテクッコリ級軽巡洋艦の改良版で、排水量がわずかに増加し、装甲が大幅に増加していた。 内部機器も再配置されていた。

エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタはリボルノのOTO社によって建造され、第一次世界大戦時のイタリアの陸軍元帥アオスタ2世公爵エマヌエーレ・フィリベルトにちなんで名付けられた。

艦歴

本艦は第7巡洋艦部隊に加わり、1938年に姉妹艦エウジェニオ・ディ・サヴォイア (Eugenio di Savoia) と周航航海に出発した。世界情勢の悪化により、カリブ海と南アメリカを訪れた後、1939年3月にラスペツィアに帰還した。

第二次世界大戦

イタリアが戦争に参加したとき、ダオスタは第2巡洋艦隊に所属しており、7月6〜10日のプンタ・ステロ沖海戦に参加した。さらに、ダオスタは北アフリカへの輸送船団の護衛や、イギリスの巡洋艦への迎撃に参加し、12月18日にはコルフ島への砲撃に参加した。

1941年の間、ダオスタは主に第8巡洋艦師団に所属し、北アフリカの沖への機雷敷設や護送船団の護衛に参加した。

1941年5月1日と6月3日に他の巡洋艦と共にトリポリ沖へ機雷を敷設[4]。同年12月19日にイギリス海軍のK部隊がこの機雷原に突入し、軽巡洋艦ネプチューン (HMS Neptune, 20) と駆逐艦カンダハー (HMS Kandahar, F28) が沈没、軽巡2隻(オーロラペネロピ)が大破するなどの被害を出している[5][6]。なお、6月3日の時は「エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ」は対潜水艦用の機雷を敷設している[7]

12月に行われた船団護衛任務は、 ダオスタが参加した第一次シルテ湾海戦に発展した。

1942年の任務は以前とほぼ同じだったが、8月にペデスタル作戦による輸送船団を迎撃するために出航したが、空軍の援護がないため、この出撃は中止された。

1942年6月13日、 ダオスタはサルデーニャ島の南方沖において軽巡洋艦ライモンド・モンテクッコリ (Raimondo Montecuccoli) とともに航行中にイギリス潜水艦ユニゾン (HMS Unison) よる雷撃を受けたが難を逃れた[8]

1943年、 ダオスタは1年の残りのほとんどの期間、燃料不足のために活動していなかった。8月に予定されたパレルモ周辺の連合国軍への砲撃は中止された。

イタリアの降伏休戦協定締結後、ダオスタはタラントで簡単な改修を行い、1943年10月に軽巡洋艦ドゥーカデッリアブルッツィ (Luigi di Savoia Duca degli Abruzzi) とジュゼッペガリバルディ (Giuseppe Garibaldi) とともに、南大西洋に出航し、西アフリカフリータウンに拠点を置く海上封鎖任務に他の連合国軍と共に貢献した。1943年11月から1944年2月の間に7回の巡回を行った。ダオスタは4月にイタリアに戻り、その後、輸送任務を行っただけだった。

ダオスタは参加した海上行動のいずれにおいても損害を受けたことはなく、空襲や潜水艦の攻撃によって被弾を受けることはなかったため幸運艦と呼ばれていた。

戦後

戦後、 ダオスタは活動停止状態となり、戦時賠償の一環としてソビエト連邦に引き渡された[3]。1949年3月2日、Z15としてソ連海軍の艦艇となる。彼女は最初にスターリングラード、次にケルチに改名した[3][注釈 1]。1959年2月20日に除籍されて[9]1960年代(おそらく1960年)に解体されるまで、ソビエト海軍の黒海艦隊に所属していた。

出典

注釈

  1. ^ 先代はロシア革命時代の駆逐艦ケルチ英語版ロシア語版である。

脚注

  1. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 121イタリア/軽巡洋艦「エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ」級 EMANUELE FILIBERTO DUCA D'AOSTA CLASS
  2. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 142a〔戦利・貸供与艦〕ソ連/軽巡洋艦「スターリングラード」STALINGRAD
  3. ^ a b c 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 142b.
  4. ^ "The Demise of Force "K"", pp. 99-100
  5. ^ "The Demise of Force "K"", pp. 104-109
  6. ^ "The Demise of Force "K"", pp. 100, 104-109
  7. ^ "The Demise of Force "K"", pp. 110
  8. ^ Chalcraft, Geoff (2000–2008). "Unison". British Submarines of World War II.
  9. ^ Rohwer, Jürgen; Mikhail S. Monakov. Stalin's Ocean-going Fleet: Soviet Naval Strategy and Shipbuilding. Routledge. p. 268.

参考文献

  • 編集人 木津徹、発行人 石渡長門『世界の艦船 2010.No.718 近代巡洋艦史』株式会社海人社〈2010年1月号増刊(通算第718号)〉、2009年12月。 
  • Joseph Caruana , "The Demise of Force "K"", Warship International, Vol. 43, No. 1, International Naval Research Organization, 2006, pp. 99-111
  • Brescia, Maurizio (2012). Mussolini's Navy: A Reference Guide to the Regina Marina 1930–45. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 978-1-59114-544-8 
  • Conway's All The World's Fighting Ships 1922–1946. London: Conway Maritime Press. (1980). ISBN 0-85177-146-7 
  • Fraccaroli, Aldo (1968). Italian Warships of World War II. Shepperton, UK: Ian Allan. ISBN 0-7110-0002-6 
  • Whitley, M. J.『Cruisers of World War Two: An International Encyclopedia』Naval Institute Press、Annapolis, Maryland、1995年。ISBN 1-55750-141-6 

関連項目




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