エスカラードの戦いと独立の強化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/22 23:16 UTC 版)
「ジュネーヴ州」の記事における「エスカラードの戦いと独立の強化」の解説
このような新教徒の国の発展を警戒したサヴォワ公カルロ・エマヌエーレ1世は1602年12月11日から12日にかけての夜、軍隊を結集して夜襲をかけた。(この際、ロワイヨームおばさんMère Royaumeが台所の窓を開け、下にいたサヴォワ兵に気がついて、とっさに火にかかっていた野菜スープを鍋ごとぶちまけて敵兵を撃退したという逸話はジュネーヴ市民の間では伝説的な英雄談である。)夜明けまで続いた戦いはジュネーヴの圧倒的な勝利に終わり、以来、ジュネーヴはこの地方でゆるぎない地位を築くことになる。この「エスカラードの戦い」は、現在でも12月の第2週末にエスカラード祭 (fête de l'Escalade) として祝われ、ジュネーヴで最も賑やかな祝日である。1685年のナントの勅令撤廃に伴い、フランスからの新教徒の流入はいっそう多くなって、18世紀にはジュネーヴは飛躍的な発展を見せた。
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