ウェセックスの躍進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/24 02:43 UTC 版)
ウェセックスは最終的に南西イングランドを占拠したが、この動きの中の決定的な局面は、史料にははっきりとは現れていない。チェルディッチの上陸は、530年にワイト島の近くであった。年代記には、534年にチェルディッチが没し、息子のキュンリッチが継いだとある。また、年代記には「ワイト島を甥のストゥフ (Stuf) とウィフトガー (Wihtgar) に与えた」とされている。この記録はベーダの記録とは全く食い違っている。ベーダは、ワイト島に移住していたのはジュード人であり、サクソン人ではないと書いている。考古学的な調査記録ではベーダの説の方が真実味がある。 続いて年代記は西サクソン人が自らの王国を勝ち得た戦いについていくらかの詳細を書き連ねている。チェウリンの戦いは沿岸部ではなかった。戦場はテムズ川上流の渓谷地帯から内地側となり、現在のサリー州より東、セヴァーン川河口より西の地域であった。チェウリンはまさに西サクソン人の勢力拡大の一角を担ってはいたが、この時代の軍事活動を把握することは難しい。年代記に記された年代を追っていくと時期的に早すぎることになる。
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