イルヤス・ゼイトゥラエフとは? わかりやすく解説

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イルヤス・ゼイトゥラエフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 05:49 UTC 版)

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イルヤス・ゼイトゥラエフ
名前
ラテン文字 Ilyos Zeytulaev
基本情報
国籍 ウズベキスタン
生年月日 (1984-08-13) 1984年8月13日(37歳)
出身地 アングレン
身長 178cm
選手情報
ポジション MF, FW
ユース
スポルトアカデムクルブ・モスクワ
ユヴェントス
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2005 ユヴェントス 0 (0)
2005-2007 レッジーナ 2 (0)
2006 クロトーネ (loan) 13 (3)
2006-2007 ジェノア (loan) 12 (0)
2007 ヴィチェンツァ (loan) 6 (0)
2007-2008 ヴェローナ 13 (1)
2008-2009 ペスカーラ 28 (7)
2009-2014 ヴィルトゥス・ランチャーノ 44 (1)
2014 トリノ 0 (0)
2014 ゴリツァ (loan) 6 (0)
2015-2018 クペッロ
代表歴
2001-2007 ウズベキスタン 10 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

イルヤス・ゼイトゥラエフ (ラテン文字: Ilyas Zeytulaev[1]ウズベク語: Ilyos Zeytulaev / Илёс Зейтулаевロシア語: Ильяс Зейтуллаев、1984年8月13日- ) はウズベキスタンタシュケント州アングレン出身の元プロサッカー選手である。

ゼイトゥラエフは選手キャリアのほとんどをイタリアセリエBレガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネ (旧名:セリエC1) で過ごしている。彼の名前の「イルヤス」の綴りはIlyosだが、Ilyasと綴られることもある。(名前は旧約聖書預言者イルヤースに由来) また、ゼイトゥラエフ (Zeytulaev) はゼイトゥライェフ (Zeytulayev) と表記されることもある。

概要

ゼイトゥラエフはセルヒー・コヴァレンコ英語版ヴィクトル・ブダャンスキー英語版とともに、プロサッカー選手としてのキャリアをユヴェントスのユースチームで開始した。彼は2001年8月10日に5年契約を結んだ[2]。彼はスポルトアカデムクルブ・モスクワへのローン移籍の後2002年2月にコヴァレンコとともに13歳に加入したユヴェントスでプレーすることとなった[3]。ユヴェントスは400,000USドル (45,4000ユーロ) でコヴァレンコとゼイトゥラエフの肖像使用権を獲得した。コッパ・イタリア2001-02では、ゼイトゥラエフはサンプドリア戦の2試合に出場している。

レッジーナとその後のローン移籍

6月にヴィクトル・ブダャンスキーとともにU20チームを卒業したが、彼らはユヴェントスFCの一員となることはできなかった。まず、FIGCはユース選手の契約は最大3年であるとし、残り2年の契約は無効であると発表した。加えて、当時は非EU圏の選手は契約延長が不可能であった。従って、彼らはチームから放出されることとなった。しかし、この点に関して控訴を行い、外国人はその年齢にかかわらずプロ契約できると述べたが、FIGCの規約ではユース選手は国内選手のみ18歳以上の年齢において3年以上の契約ができるようにしていた[2]。彼ら二人は2005年1月にレッジーナとの共同保有という形で1000ユーロで移籍することとなった。彼は2005年3月19日にセリエAにおいて初めてプレーし、古巣の対ユヴェントスFC戦において75分にマルコ・ボリエッロに代わって出場した。この試合は0-1の敗戦に終わった。2005年6月、ユヴェントスFCはブダャンスキーを500ユーロで買い戻した一方で、レッジーナはゼイトゥラエフを同じ金額で完全移籍で獲得した。

2005-06シーズンはセリエAでプレーできず、ゼイトゥラエフは2006年1月にセリエBに所属していたクロトーネにローンで移籍した。2006-07シーズン、彼は再びジェノアにローンで移籍し[4]、セリエBのヴィチェンツァに移籍した (イヴァン・カスティーリャとのトレード)。

レガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネ

2007年7月、彼はセリエC1のヴェローナを退団した。しかし、前年度の成績が悪く、彼はフリーでペスカーラに移籍することとなった。ペスカーラにおいてゼイトゥラエフはレギュラーを確保した。2009年8月、彼はフリーで移籍しランチャーノと3年契約を結んだ[5]。彼は最初のシーズンにおいて、リーグ戦で14試合にしか出られなかったものの、2010-11シーズンには4-3-3フォーメーションのストライカーとしてルイス・ガブリエル・サシロットやウンベルト・インプロタ、フランチェスコ・ディ・ジェンナーロなどとともにチームにフィットした。

ウズベキスタン代表

ゼイトゥラエフは2003 FIFAワールドユース選手権においてU-20ウズベキスタン代表の一員として出場した。彼はサッカーウズベキスタン代表にも選出され、2002 FIFAワールドカップ・アジア予選AFCアジアカップ2004AFCアジアカップ2007予選にも出場している。また、2007年3月にはAFCアジアカップ2007直前の親善試合で招集された[6]。2009年3月には2010 FIFAワールドカップ・アジア予選の際に代表に選出されている[7][8]が、試合には出場していない。

統計

ウズベキスタン代表における成績

試合出場・ゴール
日時 場所 対戦相手 結果 ゴール 大会種別
2001年5月7日 ヨルダン アンマン  ヨルダン 1-1
0
2002 FIFAワールドカップ・アジア予選
2001年9月8日 ウズベキスタン タシュケント  オマーン 5-0
0
2002 FIFAワールドカップ・アジア予選
2003年4月30日 ウズベキスタン タシュケント  ベラルーシ 1-2
0
親善試合
2004年7月22日  中国 成都  サウジアラビア 1-0
0
AFCアジアカップ2004
2004年7月26日  中国 重慶  トルクメニスタン 1-0
0
AFCアジアカップ2004
2006年10月11日 バングラデシュ ダッカ  バングラデシュ 4-0
1
AFCアジアカップ2007予選
2006年11月15日 ウズベキスタン タシュケント  カタール 2-0
1
AFCアジアカップ2007予選
2007年3月27日  マカオ マカオ  中国 1-3
0
親善試合[9]

脚注

  1. ^ “Uzbekistan National team will play several friendly matches in coming months” (ウズベク語). Embassy of Uzbekistan in New Delhi. (2007年3月6日). http://www.uzbekembassy.in/news/march2007.htm 2013年2月28日閲覧。 
  2. ^ a b “COMUNICATI UFFICIALI N. 23/C” (イタリア語). Commissione d'appello federale, FIGC. (2004年12月13日). http://www.figc.it/Assets/contentresources_2/ContenutoGenerico/39.$plit/C_2_ContenutoGenerico_6464_lstAllegati_Allegato0_upfAllegato.pdf 2013年2月28日閲覧。 
  3. ^ “Pescara, le confessioni di Zeytulaev” (イタリア語). tuttomercatoweb.com. (2008年10月6日). http://www.tuttomercatoweb.com/?action=read&id=124381 2013年2月28日閲覧。 
  4. ^ “Zeytulaev inks deal with Genoa”. Asian Football Confederation. (2006年9月11日). http://cms.the-afc.com/en/member-association-news/central-a-south-asia-news/6863 2013年2月28日閲覧。 
  5. ^ “La Virtus rilancia: Zeytulaev è rossonero!” (イタリア語). SS Virtus Lanciano 1924. (2009年8月1日). http://www.virtuslanciano.it/news/327_la-virtus-rilancia-zeytulaev-e-rossonero.html 2013年2月28日閲覧。 
  6. ^ “Uzbekistan National team will play several friendly matches in coming months”. Uzbekistan National News Agency. (2007年3月6日). http://www.uza.uz/uzb/news/?id1=18576 2013年2月28日閲覧。 
  7. ^ “UZB v QAT: All or nothing for Kasimov”. ウズベキスタンサッカー連盟. (2009年3月7日). http://www.the-uff.com/index.php?act=news&section=subsec=29&subsec=7&news_id=2314 2013年2月28日閲覧。 
  8. ^ “Қосимов 27 та футболчини таклиф қилди” (ウズベク語). ウズベキスタンサッカー連盟. (2009年3月7日). http://www.the-uff.com/index.php?act=news&section=&subsec=29&news_id=2264 2013年2月28日閲覧。 
  9. ^ 一剑 (2007年3月7日). “友谊赛:韩鹏准帽子戏法 中国3比1力克中亚狼” (中国語). 腾讯体育 (QQ Sports). http://sports.qq.com/a/20070327/000460.htm 2013年2月28日閲覧。 

外部リンク




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