イブラヒム・ベイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 01:58 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動イブラヒム・ベイ(アラビア語: إبراهيم بك、英語: Ibrahim Bey、1735年 – 1817年)は、エジプトのマムルークのアミール。グルジアの出身[1]。
イブラヒム・ベイは、アブラム・シンジカシュビリ(აბრამ შინჯიკაშვილი)として、グルジア東部、カヘティ州のキリスト教(グルジア正教)聖職者の家に生まれた。子供の時、オスマン帝国の奴隷商人にさらわれ、エジプトで売られた。その地で彼はイスラム教に転向し、マムルークとして育てられた。エジプトのマムルーク支配者アブー・アッ=ザハブに忠勤を励むことにより頭角を現したイブラヒムはベイの尊称を得るまでになり、やがて最も有力なマムルーク支配者の1人となった。そして、ムラード・ベイとともにエジプトの事実上の支配者として君臨した。2人は、マムルーク体制の転覆を狙うオスマン帝国の執拗な企てと市民の抵抗を退けてその地位を維持した[1]。
イブラヒムはナポレオンが率いてきたフランス軍と、「ピラミッドの戦い」(1798年)と「ヘリオポリスの戦い」(1800年)の2回戦ったがいずれも敗北し、その結果、国の支配権を完全に失った。1811年のムハンマド・アリー・パシャによるマムルーク支配者の大虐殺は生き延びたものの、1817年、無名状態で死亡した[1][2]。
参考文献
- ^ a b c Mikaberidze, Alexander, "Ibrahim Bey", in: Gregory Fremont-Barnes (ed., 2006), The Encyclopedia of the French Revolutionary and Napoleonic Wars, Vol. 2, p. 471-2. ABC-CLIO, Inc.
- ^ Kahle, P., "Ibrāhīm Bey", in: M. Th. Houtsma, E. van Donzel (1993), E. J. Brill's First Encyclopaedia of Islam, 1913-1936, p. 436-7. Brill, ISBN 9004082654.
イブラヒム・ベイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 20:58 UTC 版)
「ナポレオン -獅子の時代-」の記事における「イブラヒム・ベイ」の解説
ムラード・ベイと共にピラミッドの戦いに敗れ、ジェッザー・パシャの庇護下に走り、兵力を貸与されるも、ジェッザー・パシャに左眼と鼻を削ぎ落とされてしまう。ヤッファに立て篭もった後、軍隊内でペストが流行。彼も感染したが、「3万の軍隊に匹敵する力を得た」と歓喜し、これがヤッファのフランス軍ペスト流行に繫がった。
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