アーサー・ポンソンビー (シュールブリードの初代ポンソンビー男爵)とは? わかりやすく解説

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アーサー・ポンソンビー (シュールブリードの初代ポンソンビー男爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/31 18:04 UTC 版)

シュールブリードの
初代ポンソンビー男爵
アーサー・ポンソンビー
Arthur Ponsonby
1st Baron Ponsonby of Shulbrede
生年月日 1871年2月16日
没年月日 (1946-03-23) 1946年3月23日(75歳没)
出身校 オックスフォード大学ベリオール・カレッジ
所属政党 自由党労働党
称号 シュールブリードの初代ポンソンビー男爵
配偶者 ドロシア

内閣 第2次マクドナルド内閣
在任期間 1931年3月13日 - 1931年8月25日

庶民院議員
選挙区 スターリング・バラズ選挙区英語版
シェフィールド・ブリッジサイド選挙区英語版
在任期間 1908年5月22日 - 1918年12月14日
1922年11月15日 - 1930年2月6日[1]

貴族院議員
在任期間 1930年1月17日 - 1946年3月24日[1]
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シュールブリードの初代ポンソンビー男爵アーサー・オーガスタス・ウィリアム・ハリー・ポンソンビー: Arthur Augustus William Harry Ponsonby, 1st Baron Ponsonby of Shulbrede1871年2月16日 - 1946年3月23日)は、イギリスの政治家・貴族。

ベスバラ伯爵家の分流の生まれ。はじめ自由党、ついで労働党の政治家となり、労働党政権下で役職を歴任した。政治家としては君主制・体制批判で評判をとった[2]

経歴

1871年2月16日ベスバラ伯爵家の分流でヴィクトリア女王の個人秘書を務めた陸軍軍人サー・ヘンリー・ポンソンビー英語版大将とその妻エリザベス(旧姓バルテール)の間の三男として生まれる。長兄に陸軍少将となるサー・ジョン・ポンソンビー英語版、次兄に、国王手許金会計長官も務めた宮廷官僚フレデリック・ポンソンビー(のち初代サイゾンビー男爵)がいる[2][3]

イートン校を卒業[4]。イートン校在学中の1882年から1887年にかけてはヴィクトリア女王の名誉小姓英語版を務めた[4][3]。その後、オックスフォード大学ベリオール・カレッジへ進学[4]

1894年から1903年にかけては外交官をしていた[4]。1905年から1907年にかけてヘンリー・キャンベル=バナマン首相の個人秘書を務めた[4][3]。1908年から1918年にかけてキャンベル=バナマンの選挙区だったスターリング・バラズ選挙区英語版から自由党所属の庶民院議員に選出された[4][3]。ついで1922年から1930年にかけてはシェフィールド・ブリッジサイド選挙区英語版から選出される労働党所属の庶民院議員となった[4][3]

1924年1月から11月にかけては第一次マクドナルド内閣で外務省政務次官英語版を務め、ついで1929年7月から12月にかけて第二次マクドナルド内閣のドミニオン省政務次官英語版、1929年から1931年にかけては運輸省政務官英語版を務めた[4][3]

1930年1月17日にはサセックス州におけるシュールブリードのシュールブリードのポンソンビー男爵に叙され[4][3]貴族院議員に転じた[1]

1931年3月から8月にかけてランカスター公領大臣を務めたが、同年8月の労働党の分裂に際して主流派に属して下野した。その後は反対党(労働党)貴族院院内総務となり、1935年まで務めた[4][3]

1936年冬、貴族院において安楽死法案の法案提出を行った[2]

1946年3月24日に死去した。爵位は長男のマシューが継承した[4][3]

著作

  • The Camel and the Needle's Eye (1910)[4]
  • The Decline of the Aristocracy (1912)[4]
  • The Priory and Manor of Lynchmere and Shulbrede (1920)[4]
  • Falsehood in Wartime (1928)
  • Henry Ponsonby: his Life from his Letters (1942)[4]

栄典

爵位

1930年1月17日に以下の爵位を新規に叙された[4][3]

家族

作曲家の初代準男爵チャールズ・ヒューバート・パリーの娘ドロシア・パリーと結婚し、彼女との間に以下の2子を儲けた[4][3]

  • 第1子(長女)エリザベス・ポンソンビー (1900-1940) : ジョン・ペリーと結婚
  • 第2子(長男)マシュー・ヘンリー・ヒューバート・ポンソンビー英語版 (1904-1976) : シュールブリードの第2代ポンソンビー男爵位を継承

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c UK Parliament. “Mr Arthur Ponsonby” (英語). HANSARD 1803-2005. 2016年6月10日閲覧。
  2. ^ a b c 水谷, 三公『イギリス王室とメディア - エドワード大衆王とその時代』(初版)筑摩書房東京都台東区文春学藝ライブラリー〉、1995年、259頁。ISBN 9784168130557 
  3. ^ a b c d e f g h i j k Heraldic Media Limited. “Ponsonby of Shulbrede, Baron (UK, 1930)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年4月16日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q Lundy, Darryl. “Arthur Augustus William Harry Ponsonby, 1st Baron Ponsonby of Shulbrede” (英語). thepeerage.com. 2016年6月7日閲覧。

関連項目

グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代
サー・ヘンリー・キャンベル=バナマン
スターリング・バラズ選挙区英語版
選出庶民院議員

1908年 – 1918年
選挙区廃止
先代
サー・テューダー・ウォルターズ英語版
シェフィールド・ブリッジサイド選挙区英語版
選出庶民院議員

1922年1930年英語版
次代
フレッド・マーシャル英語版
公職
先代
ロナルド・マクネイル英語版
外務省政務次官英語版
1924年
次代
ロナルド・マクネイル英語版
先代
第2代プリマス伯爵英語版
ドミニオン省政務次官英語版
1929年
次代
ウィリアム・ラン英語版
先代
第2代ラッセル伯爵英語版
運輸省政務官英語版
1929年 - 1931年
次代
ジョン・パーキンソン英語版
先代
クレメント・アトリー
ランカスター公領大臣
1931年
次代
第11代ロジアン侯爵英語版
党職
先代
初代パームア男爵英語版
労働党貴族院院内総務
1931年 - 1935年
次代
初代スネル男爵英語版
非営利団体
先代
フェナー・ブロックウェイ英語版
戦争抵抗者インターナショナル英語版議長
1934年 - 1937年
次代
ジョージ・ランズベリー
イギリスの爵位
新設 シュールブリードの
初代ポンソンビー男爵

1930年-1946年
次代
マシュー



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