アンゴラとの統合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 02:00 UTC 版)
「ポルトガル保護領コンゴ」の記事における「アンゴラとの統合」の解説
1910年代半ば、ポルトガル領アンゴラの領土範囲は、隣接して植民地を保有していた列強との交渉でようやく確定した。これによって、ポルトガル領コンゴの領土範囲も確定し、南東部に位置するマケラ・ド・ゾンボに首都が移された後、植民地の一地域として扱われるようになった。 1917年に行われた首都移転後、行政上の非効率が明らかとなり、1919年にポルトガル保護領コンゴは大規模な再編が行われた。コンゴは二つに分割された。もともとのコンゴ地区はマケラ・ド・ゾンボから統治され、新たにカビンダを中心とするカビンダ地区が設けられた。保護領の知事はポルトガル領アンゴラの総督の下に位置することになり、事実上、保護領全体がアンゴラに併合された。 3番目の部分(ザイール地区)は、1922年にコンゴ地区を分割することで生まれ、ンバンザ=コンゴから統治された。 1922年に事実上統合されていたにもかかわらず、1933年のポルトガルの憲法でも依然としてアンゴラ植民地とポルトガル保護領コンゴは法的には別個の存在だとしていた。1951年にアンゴラがポルトガル帝国内で「海外県」と宣言されたときに、ポルトガル領コンゴは法的にも姿を消した。
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