アルマゲスト全文の出版とモデルの改良
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:58 UTC 版)
「ニコラウス・コペルニクス」の記事における「アルマゲスト全文の出版とモデルの改良」の解説
1515年にレギオモンタヌスによって『アルマゲスト』の全文の翻訳が印刷本として出版された。コペルニクスはそれまで研究していた『要約』と全文の違いを知った。『アルマゲスト』には太陽、月、惑星の位置を計算するための表がたくさん載っていた。また1000以上の恒星の位置が記された恒星目録があった。コペルニクスは16世紀に自分の表が役立つようにするには、惑星の運動をすべて記述するために必要な数字を一つ一つ再確認しなければならなくなった。コペルニクスは合わせて34個の円を組み合わせて惑星の運動モデルを作り、調整すれば高い精度で観測と合うモデルを手にしているという自信があった。それにはそれぞれの円の中心の位置、半径、回転の速さなど、100を越えるパラメーターの明示が必要だった。コペルニクスは実際に観測し、計算をして、モデルをチェックすることにそれから20年以上の余暇を費やすことになった。コペルニクスは幾何学的な条件が適しているときはいつも惑星の位置を記録し、格別に注意して食を観測した。1529年になって、ようやくプトレマイオス天文学を修正するための『天球の回転について』を書き始めた。1543年のコペルニクスの死の間際にようやくその本は印刷出版された。
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