アルダブリウス (447年の執政官)とは? わかりやすく解説

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アルダブリウス (447年の執政官)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 15:52 UTC 版)

フラウィウス・アルダブリウスラテン語: Flavius Ardaburius425年頃 - 471年)は5世紀ゲルマン人で、東ローマ帝国の軍人。半世紀にわたって東ローマ帝国を実質的に支配したゲルマン人の将軍アスパルの息子。447年執政官


注釈

  1. ^ のちに「全ゴート人にたいする王」と呼ばれることになるテオドリック・ストラボの父[2]
  2. ^ プリバトン(pribaton)とは、個人の資財で建設・運営された古代ローマの公衆浴場のこと[8]
  3. ^ メガロプシュキア(megalopsychia)とは、「大いなる霊魂」を意味する語[8]。アンティオキアの恵み豊かな自然を讃えたものと解釈されている[8]
  4. ^ 戴冠は総主教アナトリウス英語版による。
  5. ^ レオ1世に先だってマルキアヌスが先例であったとする説もある[15][10][16]

出典

  1. ^ ダウニー1986、p.222。
  2. ^ 岡地1995、p.82。
  3. ^ a b c オストロゴルスキー2001、p.85。
  4. ^ a b 尚樹1999、pp.124-125。
  5. ^ 尚樹1999、p.125。
  6. ^ 尚樹1999、p.121。
  7. ^ a b c ダウニー1986、p.223。
  8. ^ a b c d 飯島章仁「アンティオキア近郊で出土した都市景図について -いわゆるメガロプシュキア・モザイクの周縁部の再検討-」『西アジア考古学 Vol.6』西アジア考古学会、2005年。
  9. ^ ダウニー1986、p.198。
  10. ^ a b c d パランク1976、p.128。
  11. ^ a b 松原國師「レオー(ン)1世」『西洋古典学事典』京都大学学術出版会、2010年。ISBN 9784876989256
  12. ^ エドワード・ギボンローマ帝国衰亡史』、36章。
  13. ^ a b 尚樹1999、p.51。
  14. ^ オストロゴルスキー2001、p.84。
  15. ^ オストロゴルスキー2001、p.119
  16. ^ ルネ・ミュソ=グラール『クローヴィス』加納修訳、白水社、2000年、29-30頁。ISBN 4560058318
  17. ^ ダウニー1986、p.224。
  18. ^ a b ダウニー1986、p.225。
  19. ^ シリル・マンゴー『ビザンティン建築』飯田喜四郎訳、本の友社、1999年、51頁。ISBN 489439273-9
  20. ^ ダウニー1986、pp.225-226。
  21. ^ ダウニー1986、p.226。
  22. ^ 尚樹1999、p.123。
  23. ^ 尚樹1999、pp.123-124。
  24. ^ 尚樹1999、p.124。
  25. ^ a b パランク1976、p.129。
  26. ^ 岡地1995、p.74。


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