アルコス本部捜査
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「アルコス (ソ連)」の記事における「アルコス本部捜査」の解説
1927年5月12日午後4時、私服の捜査員50名がアルコス本部事務所に突如として殺到した。イギリス官憲は最初に外部との連絡を絶つように電話線を切った。表門、裏門とも警官の一部によって厳重に見張られ外部との往来は一切遮断、屋内に居たものの外出は禁止され、郵便配達夫や至急電報の配達も入場を認められなかった。捜査員は内部に侵入、各室のあらゆる書類の提示を要求した。午後8時には増援隊を加えて捜索が続けられた。押収し検閲を要した文書は2万におよび、ピストル6丁も押収された。この捜索をあらかじめ承知していたイギリス政府の閣僚は、ボールドウィン首相、チェンバレン外相と捜査の責任者であったジョインソン・ヒックス (Sir William Joynson-Hicks) 内相の3人のみであった。
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