アルケサス朝やマケドニア王朝との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/27 15:57 UTC 版)
「ヘラクレイオス王朝」の記事における「アルケサス朝やマケドニア王朝との関係」の解説
後世のマケドニア王朝はヘラクレイオス王朝と同じアルメニア系であるが、同朝のコンスタンティノス7世は、先祖バシレイオス1世の父は古代アルメニアのアルサケス朝(パルティア王家の分家)の子孫という噂がある、と書き残しており、これは後世作られた伝説に過ぎないという見方がある。一方でヘラクレイオス王朝との関係には触れられず、少なくともマケドニア朝はアルケサス朝を権威づけに使うことがあっても、ヘラクレイオス王朝を自身の王朝の権威づけに使うことはなかった。 他方ヘラクレイオス王朝においては、コンスタンス2世の舅であったパトリキオスのウァレンティノスがアルケサス朝の一門であったという見方がある。 ヘラクレイオス王朝を権威づけに使うことがなかった反面、バシレイオス1世の2番目の妃エウドキア・インゲリナはヘラクレイオス1世の妹マリア(ヘラクレイオス1世の2番目の妃マルティナの母。故にヘラクレイオス1世は自身の姪を妻に迎えたことになる)の末裔(雲孫の子、マリアから数えて10代目で9世孫)であり、マケドニア王朝はレオーン6世を筆頭に彼女の血筋で皇帝の世襲が行われた為、女系ではあるもののヘラクレイオス王朝の血筋が1056年まで存続した。また、ヘラクレイオス1世・マリナ兄妹の母エピファニアは傍系ながらユスティニアヌス王朝の一族出身である為、当然ながらユスティニアヌス王朝の諸皇帝とも血縁・縁戚関係にある。
※この「アルケサス朝やマケドニア王朝との関係」の解説は、「ヘラクレイオス王朝」の解説の一部です。
「アルケサス朝やマケドニア王朝との関係」を含む「ヘラクレイオス王朝」の記事については、「ヘラクレイオス王朝」の概要を参照ください。
- アルケサス朝やマケドニア王朝との関係のページへのリンク