アラブ軍の戦略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/02 00:24 UTC 版)
捕虜から東ローマ軍の動きを得たアラブ軍ではハーリドが軍議を招集し、部隊をパレスチナとシリア北部、中部から撤退させ、全軍を1カ所に集中させるようにアブー・ウバイダに進言した。また、ハーリドは占領した諸都市から徴収していたジズヤ(人頭税)も、撤退の際には住民に返還するように助言した。これらを容れたアブー・ウバイダは、東ローマ軍の圧力を受けつつ分散した兵力を集め、ガリラヤ湖の東約40キロのダルアー(シリアとヨルダンの国境)まで撤退。ヤルムーク峡谷とハッラの溶岩原の隙間をふさぐように布陣し、ヤルムーク平野の東側に宿営地を設けた。
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