アボット政権(2013–15)
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「スコット・モリソン (政治家)」の記事における「アボット政権(2013–15)」の解説
2013年9月18日に発足したアボット新政権の意向で不法移民対策など国境管理を担当するOperation Sovereign Bordersの設立に携わった。2018年に明らかになった行政文書には、モリソンが700人程度の難民を受け入れる緩和策を求めていたことが判明した。しかし難民の受け入れ縮小を目指すなど寛容なわけではなかった。 移民・市民権大臣に就任し、メディアへの露出度も高まった。しかし大臣時代は発言等でメディアやジャーナリスト、他の議員からの批判にさらされた。2014年にオーストラリア人権委員会からは、難民申請者やその子供が劣悪な環境に置かれている状況にモリソンが対策を講じていないとして非難された。 2014年12月23日内閣改造により大臣を辞職した。同日、社会福祉大臣に任命され再入閣した。 2015年3月にはモリソンの母校であるシドニー男子高等学校の卒業生約300人から、同校の行事への出席に抗議する文書が送られた。モリソンは参加を見送らざるを得なかった。
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