アフリカ遠征への布石
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 09:48 UTC 版)
「スキピオ・アフリカヌス」の記事における「アフリカ遠征への布石」の解説
その後、スキピオはヒスパニアの部族を次々と攻略し、イリッパの戦いでカルタゴの残存勢力をヒスパニアから一掃する。この時点でスキピオは北アフリカへの進攻を模索しており、その戦略の一環として、カルタゴ勢として戦ったヌミディア王国との同盟交渉のため、ローマ側の使節として友人のガイウス・ラエリウスを送った。しかしヌミディア王子シュファクスはスキピオ以外の人物との交渉を拒否、危険を承知しながらもスキピオは海路ヌミディアへ赴く。 交渉の結果、シュファクス及びマシニッサ両王子との同盟が成立したが、シュファクスは後にスキピオを裏切ってカルタゴへ鞍替えしてしまう。他方スキピオとの盟約を守ったマシニッサは故国を追われ、ローマ軍の支援部隊として加わる事となった。 こうして同盟を成功させたスキピオであったが、ヒスパニアへの帰路に反乱が勃発し、鎮圧に手間取る間に勢力を保持していたハスドルバルの西進を許し、ローマ領ガリア・トランサルピナへの進軍を許してしまう。しかしそれ以外の事態は順調に進み、紀元前206年、カディスの攻略を最後にローマのヒスパニア支配を確立し、スキピオはローマに帰還した。
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